日本全国のピアノ教室が5000件以上掲載!

カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ:宮廷音楽家としての挑戦と成果

カール・フィリップ・エマニュエル・バッハは、フリードリヒⅡ世の宮廷での奉職を通じて、音楽家としての地位を確立しました。しかし、その才能を十全に活かす役職は結局与えられず、給与面でも冷遇されていました。これは、当時の社会状況と音楽家の地位についての洞察を提供してくれます。

フリードリヒⅡ世は、芸術と学問を愛し、就任後間もなく離宮サン・スーシを建造、そこでは夜ごと大王自身のフルート演奏を交えた室内楽コンサートが開かれていました。フリードリヒは各地から優秀な作曲家を集め、時のポツダムは一流派をなす音楽文化が形成されるに至ります。

しかし、七年戦争(1756~63年)を展開する中で、フリードリヒ大王は次第に音楽に興味を失っていきました。それでも、サン・スーシー宮殿では、大王向けの作曲活動や芸術家としての独自の道を模索する時間がありました。フリードリヒ大王の元には、ヴォルテールなどの知識人も招かれていました。そのため、高度な芸術的空気が溢れており、そこでの生活は多くの得がたい経験をもたらしたことでしょう。

次回は、出版が彼の人生にもたらした影響についてお話しします。レッスンにご興味がある方は、「ウィステリア・ピアノクラス」を検索して、ホームページからお気軽にお問い合わせください。


↓お問い合わせは、こちらからどうぞ!↓
↑体験レッスンお申し込みも、こちらからどうぞ!↑

このブログへのコメント