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練習曲は必要?

「音楽は好きだけど、つまらない練習曲が嫌いで困っている。好きな曲は弾きたがるが、進度がお月謝額に見合わない。」という他教室の生徒さんのお母様から、質問がありました。

まず、私は「子供さんが好きな曲を弾きたがるのは素晴らしいことだ」と申し上げました。

音楽はまず、「好きな曲に興味を持つこと」から始まり、「聞いて楽しむこと」を経て、「自ら演奏する達成感を味わうこと」に至るからです。

20世紀最大のピアニストと言われているホロヴィッツ氏は、所謂「練習曲」を殆ど学ばなかったことを、皆さんはご存知でしたか?

また、ショパンは「指のトレーニングを目的とする練習曲」について、「五本の指を平均化する必要性がないので、その種の練習曲はやる意味がない。」「しかし、指の特性にあった鍵盤を選択して演奏する必要があるため、それについての勉強は不可欠である。」「無味乾燥な練習曲ではなく、J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集を毎日弾くことで、有意義な練習が出来る。」と言いました。

いきなり、二人の世界的音楽家の名前と事例を出して、驚かせてしまったかも知れませんね!
しかし、これらの事実は、決して天才にだけ当てはめられるものではなく、むしろ、私たち「普通の人」にこそ、ピアノを学ぶ上で、充分に認識されるべきものなのです。

まず、「ホロヴィッツが練習曲をやらなかった」というのは、彼が楽曲を弾く中で、うまく行かない箇所や、演奏上の難点に、自分で気づいて、その解決となるべき訓練法を自分で考案して、自らを訓練していたからです。ですから、決して多くの人が考えるように、「彼は天才であったが故に、生まれつき神のような手を持っていた」のではありません。

私の生徒さんの中にも、所謂「練習曲」と称されるものを億劫がって、なかなかレッスンに持って来ない人は何人かいらっしゃいます。

しかし、音楽が好きで、好きな曲を上手に弾きたいと望んでいる人であれば、年齢やキャリアに拘わらず、「自分の演奏(弾き方)に満足するか否か」という問いが自ずから生れるものです。

「アニメ」や「ボカロ」といった曲を片手(あるいは一本指)で弾いていた生徒さんであっても、たとえば、同じ曲の上級アレンジバージョンを「イン・テンポ」で弾いている別の生徒さんの演奏に感化を受けて、「どうやったら、あの速度でつっかえないで弾けるようになるのか」「どうして、あの子はたった5本しかない指で、3オクターブものスケールを弾いてのけたのか」など、技術に関する質問を、自発的に投げかけるようになります。

本来、ピアノの練習で最も大切なことは、「自分の音を注意深く聞くこと」ですから、たとえ好きな曲だけを弾くにしても、よほど完璧な演奏をするのでない限り、「コントロールのうまく行かないパッセージの存在」「左右の手の音量の不均衡」など、技術上の課題となるべき事柄は、その曲の中だけにも多々あるはずなのです。

逆の言い方をすれば、それは、「本人に自覚がなければ、その練習曲をやっても意味がない」ということなのです。

そのことは、二番目の例として挙げた「ショパン自身が残した言葉」にも共通しています。

ショパンは、生徒を教えるにあたって、「指の力を均等にするための訓練をすること」より、むしろ、「その指に合わせた指使いを選択すること」を重要と考えていました。たとえば、黒鍵は長い指(第2、第3、第4指)を多用し、親指の黒鍵に対する使用は、一部の例外を除いて推奨されませんでした。

多くの練習曲が「ハ長調」から始まっているのに対し、ショパンは生徒に「ロ長調」など、長い指が黒鍵に来る調から弾かせていました。これは、「無駄な力を抜くこと」- 即ち「脱力」という「世紀に渡ってピアノ界に君臨し続け、演奏家、教師、生徒たちを悩ませ続けてきた言葉」に関係している事柄です。

たとえ、「教則本」や「練習曲」を単に数だけこなして、見せかけのレベルだけが上がったとしても、この「脱力」(この言葉そのものが、用語として適切かどうかは別として)が出来ていなければ、本当の意味での技術は身についていません。

言葉を換えると、「練習曲を日常のレッスンに採り入れたら、必ずしも、それをやっただけの成果が期待出来るとは限らない」のです。

それは、ショパンが言っているように、「指は平均化されるべきものではなく、その曲に最もふさわしい音で弾かれるよう、集中力によってコントロールされるべきもの」だからです。

今回の質問をなさった方の子どもさんは、まだ小学校低学年ですから、技術的な問題を自覚するようになるまで、練習曲をやりたがらないことを、さほど気にされることはないと思います。子どもさんは、総じて「つまらないもの」には関心を示しませんから、ごく普通のことですね。

しかし、技術向上ということに関して言えば、たとえば、「本人が弾きたい曲に、スケールやアルペジオ、早いパッセージを採り入れるべく、師事されている先生に編曲をお願いする」などして、手の運動能力が落ちないようにしておいた方が良いですね。

次に、ショパンが残した上記の言葉のうち、三番目の「平均律クラヴィーア曲集を毎日弾く」という項目について、少しだけお話ししたいと思います。

この曲集は、「旧約聖書」の異名を持つほど、ピアノを学習する上において重要なものです。しかし、「初心者」や「小さいお子さん」のために書かれた曲集ではありませんので、当然ながら、文字通り解釈するのではなく、「将来、この曲集を弾きこなせるだけの水準に達するために、果たして何をすれば良いか」という視点よりお考えになると宜しいかと存じます。

これについては、やや専門的な話になってしまいますので、具体的な解析や説明を加えることは、ここでは控えさせて頂きますが、「複音楽」に分類されるこの曲集は、「右手がメロディー、左手が伴奏」といったようなスタイルでは書かれていません。ですから、「左手でもメロディーを弾いてみる」、「右手と左手のパートを入れ替えて演奏する」、「右手と左手が輪唱になるようにパッセージを弾いてみる」など、色々と練習方法を工夫してみると、練習効果が上がる上に、音楽の面白さも倍増します。

また、この「平均律クラヴィーア曲集」は、「全調で書かれていること」も特徴の一つです。生徒さんが、日ごろより、シャープやフラットの多い曲を避けないで、積極的に選曲に採り入れるといったことも、「将来の伸び」の鍵の一つを握ることになると思います。

もし、お持ちの楽譜の調性が、白鍵中心に書かれているものでしたら、「移調奏」を採り入れることをお勧めします。これは、音感教育のためには非常に有益なものですから、指導者でさえ、日々そのための訓練を積んでいます。

私の生徒の中に、練習曲どころか教則本すらきちんと練習してこないでレッスンに来るという状態が数カ月続いた子がいます。ある日、伝統的なメソッドを強要しないで、上記のようなレッスンをする方針に切り替えたところ、わずか数カ月のうちに、「上級者向け」として市販されている楽譜の殆どを、非常に流暢に演奏出来るところまで上達しました。

言う間でもなく、「上級者向け」の楽譜は、大抵、「オクターブや重音による速いパッセージ」や、「難しい跳躍」を含むものが多いですから、ピアノ学習者の多くは、「それらの曲を演奏出来るようになるために、練習曲に取り組んでいる」わけです。

しかし、前述したとおり、目的が分からなくて単に使用していても、その水準に達しない場合も多々ありますし、逆に、「練習曲集」なるものを常用していなくとも、適切な指導と訓練を受けることによって、高度な技術を習得出来ることもあり得るのです。

ですから、「練習曲をやりたがらない」ということに問題を絞らないで、「どうやったら上達するか」ということを、多角的な視点より、前向きにお考えになることの方が大切なのです。

あるいは、毎週レッスンに通うということではなく、ワンレッスン制、フリー予約制といった自由な形態の方が、その生徒さんのペースに合っている場合もあります。

いずれにしても、音楽がお好きなお子さんには、出来るだけ長くピアノを継続して欲しいというのが、私の心からの願いです。

家庭の中に音楽があるというのは、「進度」云々より、遥かに大きな価値があることですね!


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