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楽譜という絵画

大人になってからピアノを独学している方から、「楽譜をスラスラ読んで弾けるようになるものでしょうか?」という質問を受けることは、どこのピアノ教室でもよくあることだと思います。

実は、これには色々な解釈があるので、先生によって答がずいぶんと異なるのです。

楽譜の成り立ちや構造がじゅうぶんに理解出来ていないのか、理論は分かっているけれど、初見が苦手なため、曲を完成するのに時間がかかるという意味なのかによって、その解決となるべき方策は異なってきますね。

前者のケースは、奏法付きの楽譜を使って練習するか、知りたい内容を自分で確認して、最も分かりやすい説明をしてくれているサイトを参考にするか、楽典などの出版物をお求めになって勉強なさると知識も増えていきますから、自然に楽譜が身近なものになってゆきます。もちろん、通える距離でピアノの先生を探して、レッスンに通われるのがベストです。

後者の場合は、単に、「これまでに接してきた楽譜の数が充分でない」ということが考えられます。「子どもの時期に使用されていた練習曲が何であったか」にもよります。例えば、「バイエルの教則本」や「ツェルニーの練習曲」のようなものを中心に学ばれていたとしたら、「古典的作風で書かれている譜面以外の楽譜には慣れていない」ということになりますから、「ロマン派以降のクラシック曲の楽譜が、すんなりと目から入ってこない」のは、ごく当たりまえのことと言えます。

私の教室に来ていらっしゃる生徒さんの中にも、他の教室から移動して来られた方で、コンクールで入賞するレベルでの演奏が出来るのに、「新しい曲の楽譜をスラスラ読めない」という方は皆無ではありません。

実のところ、「初見の得意不得意」というのは、生徒さんだけに限った話ではありません。これは、楽器を演奏する全ての人の根底に、共通している問題なのです。

ですから、生徒が子どもの場合は、「楽譜を読めるようにするのが得意な先生」を探し出すこと、大人の場合であっても、本人がその問題を抱えているのであれば、「初見演奏」や「即興的にアレンジする能力」を持ち合わせる指導者に師事する必要があります。

「反復練習によってのみ曲を仕上げること」を強調する指導者は、自らも幼少の頃から膨大な時間を楽器の前で過ごすことによって、年数をかけて難易度の高い曲を弾けるようになったというケースが多いです。

必ず、「右手→左手→両手」という順番で、新曲を練習させている先生は、今では少ないでしょうが、昔は結構たくさんいらっしゃいました。また、それらの先生は往々にして、「ゆっくり→段々速く」という厳格なルールを敷いていらっしゃいます。しかし、ここに落とし穴があります。

その方法は、「技術的困難を克服するためには必要」ですので、私の教室でも、必要であれば、そのような方向で指導することはあります。しかし、「初見の能力」というものは「手の運動能力とは別物である」ことを知る必要があります。

しかし、もし生徒さんが「譜読みの能力を向上させたい」と望んでいるのであれば、仮に、僅か数秒しか予見が許されていないような状況下であったとしても、一瞬のうちにその楽譜の意図することを読み取り、両手(必要であればペダルも)をコントロールする能力を身に着けさせなければなりません。

また、初めて楽譜を手にした瞬間(音を出す前)から「適切な速度が演奏者の内に設定される」ということは大変重要なことです。つまり、冒頭部分から終止音に至るまで、一貫して、「速度に対する妥協は最低限であるべき」なのです。「アレグロで書かれた曲を、長いことアンダンテで練習し続ける」ことによって、「何か月後も経った頃になっても尚、曲のイメージが掴めない」「仕上がりが良くない」といった「音楽性へのマイナス影響が出る」といった可能性さえ否めません。

また、片手ずつの練習が過度であった場合、両手のバランスやポリフォニーを聞き取る聴覚の発達が遅延するリスクも有ります。ですから、指導者は学習者以上に、そのことを熟知している必要があるのです。

(繰り返しますが、これらの見解は「指の技術的な側面を中心にした練習方法」ことは別の視点から論じていますので、そういったメソッドを否定しているのではありません。)

しかし、「そうは言っても、今さら、そういう練習をするだけの力がない」と呟いている方もいらっしゃると思います。

では、大人や独学をしていらっしゃる方は、どうすれば良いのでしょうか?

それは、一曲に固執しないで、「簡単な楽譜を、出来るだけ多く手掛ける」ことです。大人になってからピアノを始めた方や、子どもの頃に少し習っていた方は、小さい生徒さんと違って、理解力があるため、練習しなくても弾けてしまうことが多いです。そのため、「教則本をの同じレベルの曲を繰り返し演奏する」ことの量が不足しがちなのです。または、「自分が好きな曲を先生がいなくても弾けてしまう」といった理由から、なかなか楽譜を読む力がつかないのです。耳で知っている曲から、楽譜を読む力を育むことは出来ませんよね。

さて、ここまで、「譜読み」といいうことに焦点を当ててお話しましたが、「楽譜を読む力は、本当に重要なのか?」ということについて考えてみましょう。

盲目のピアニストは、世界に結構たくさんいますよね。そして、彼らの多くは、人々に大きな感動を与えています。「点字楽譜」というものは存在しますが、それらは備忘用に過ぎない程度の精度しか持っていませんので、彼らは「音楽とは、譜面が支配するような小さな存在ではない」ということを証しする素晴らしい音楽家であると思います。

それでも、「やっぱり楽譜をスラスラ読めたらいいなあ・・・」と願っていらっしゃる方々は、とにかく一曲にこだわらないで、多くの曲数をこなしてみて下さい。その場合は「易しい曲」を選ぶことです。私が初見演奏に強くなったのは、実は「ピアノを教え始めてから」なのです。難曲の完成に多くの時間を費やしていた学生中は、譜読みは得意ではありませんでしたし、同じことを口にしている同僚のピアノの先生を沢山存じています。

また、以前「ブログ」に、「譜読みが得意な人の脳は、楽譜を景色として捉えている」という記事を書いたことがあります。

景色を見ているとき私たちは、注目しているスポットの周りの景色を全体像として捉えていますよね。それと同じく、譜読みが得意な人は、音符ひとつひとつを「これがド、次がレ・・・」という風に、音符ひとつひとつの玉に集中してに読んでいるのではなく、譜面を「景色」として認識しているのです。

つまり、「音符と音符の間に存在する空間」や、「それらが持つ距離感」(密着して縦に並んでいる三つの音は鍵盤上では「ドミソ」など、鍵盤一個飛ばしの三和音になる等)、および「方向性(音符が上降していれば手は右方向に、下降していれば左方向に動く等)などを、あたかも景色を見ているかのように見ているのです。

年齢や音楽経験を問わず、読譜力を養う上で大切なことは、「読むこと」と同時に「書くこと」です。「読めるけど書けない漢字がある」と言っている人は沢山いますが、その逆の話を聞いたことがありません。

私はピアノを習い始めた幼い頃、最初の先生がオリジナルで作って下さっていた特製五線ノートに、五線の玉に見立てた「おはじき」を置いて遊んでいました。先生が鳴らした音を五線上に置くといった即ち「聴音」として使うこともあれば、思いついた楽想を「おはじき」で記譜するといった謂わば「作曲」の練習としても役立てていました。「音符を置いたのと同時に、その音名を高さ通りに歌う」という「ソルフェージュ」の訓練をすることも出来ました。最初の先生のお陰で、今の私があることに、今でもとても感謝しています。

その幼い頃の良い経験に教えられて、私は自分の生徒さんに「マグネット付き音符ボード」の使用をお勧めしています。

「ソルフェージュ」は音楽の基本ですから、こうした訓練を日常的に積み重ねて行くことによって、譜読みの力を向上させる突破口が見えてくるのです。

それが見えてきたら、その感覚を体得するための「流れ」が、あたかも絵画を見るように自然になる日が、もうすぐそこまで来ているということです。

そうなると、ピアノを弾くのがますます楽しくなることでしょうね!


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