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ベルリンからハンブルクへ:カール・フィリップ・エマニュエル・バッハの音楽旅行

カール・フィリップ・エマニュエル・バッハは、その名前が示す通り、バッハ家の一員であり、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの息子でした。しかし、彼は単なる「バッハの息子」ではありませんでした。彼は「ベルリンのバッハ」や「ハンブルクのバッハ」として知られ、その生涯を通じて独自の音楽的足跡を残しました。

ベルリンの宮廷での日々
カール・フィリップ・エマニュエル・バッハの音楽キャリアの初期は、フリードリヒⅡ世の宮廷で過ごしました。フリードリヒⅡ世は、プロイセンの強大化を目指す一方で、芸術と学問を深く愛していました。彼の治世の初期には、離宮サン・スーシが建設され、そこでは毎晩、フリードリヒ自身のフルート演奏を含む室内楽コンサートが開かれていました。

ハンブルクでの自由な芸術家としての活動
バッハのキャリアの後半は、自由ハンザ都市ハンブルクで過ごしました。ここでは、彼はカントルと五大教会の音楽監督となり、出版活動を通じて自由な芸術家として活躍しました。ハンブルクは、その時期に繁栄を謳歌していた都市であり、バッハはその文化的繁栄の一部となりました。

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