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検校と瞽女(ごぜ)の深遠なる響き

今回は、「検校」と「瞽女(ごぜ)」の歴史や社会的地位、音楽の特徴やジャンルについて詳しく見ていきます。

検校とは:検校とは、平安時代から室町時代にかけて、荘園や社寺の監督役職として用いられた名称で、後に盲人の最高位の官職となりました。検校は、琵琶や三味線、箏などの楽器を演奏し、説経節や浄瑠璃、地歌などの歌謡を歌いました。検校は、幕府や大名から保護を受け、当道座という組織を作り、盲人の教育や統率を行いました。検校は、音楽の技術や知識を高く評価され、多くの名曲や流派を生み出しました。検校は、明治維新後に官職が廃止されましたが、その後も箏曲や三曲の演奏家や教師として活躍しました。

瞽女(ごぜ)とは:瞽女(ごぜ)とは、女性の盲人芸能者のことで、検校と同じく平安時代から存在しました。瞽女(ごぜ)は、三味線や胡弓を弾き、瞽女唄と呼ばれる歌謡を歌いました。瞽女(ごぜ)は、門付という形で各地を巡業し、農村や町で娯楽を提供しました。瞽女(ごぜ)は、師匠と弟子の関係で音楽を伝承し、高田瞽女や長岡瞽女などの流派がありました。瞽女(ごぜ)は、明治時代には新潟県を中心に活動しましたが、戦後には廃業する者が多く、その数は激減しました。

次回は、具体的な音楽家や作品について詳しく見ていきます。お楽しみに!

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