アナリーゼ
「アナリーゼって何?音楽に分析は必要なの?!」という疑問を持たれたことがある生徒さんは、少なくないのではないでしょうか?
他教室の生徒さんからも、「私の先生は、アナリーゼしてから演奏しろと言うから、よく分からないけど、きっと大切なものなのだろう・・・?」などといった曖昧な言葉をよく耳にします。
「アナリーゼをしてから演奏する」というのは、音楽を専門に学ぶ方にとっては、当たり前の事なのですが、その重要性を理解している生徒さんばかりではないと思います。
「この展開部分は下属調のヘ長調に転調してるわけだから、このモティーフは借用和音の非和声音から開始していることになり、したがって後続和音の展開形は・・・・・」と、楽譜と鉛筆を持ち歩きつつ、いつも呟いている学生さんも時々見かけます。
構造を掴まないことには、その楽曲をきちんと弾くことは出来ません。しかし、「そんなこと分からなくても、楽譜に書いてある音の鍵盤を押さえれば、その曲になるから、別にいいじゃん?」といった声も時々聞きます。
「ハ長調で開始しているが、途中からヘ長調に変わっている等を知った上で演奏するのと、気づかないで弾くのとでは、演奏の質が違ってくる。」ということは、レッスンに長く通っていらっしゃる生徒さんなら、理屈抜きに分かることなのですが、ピアノを始めたばかりの生徒さん方から、「どこが?何が?どう違うの?」と聞かれる先生が、多くいらっしゃるというお話を伺ったことがあります。
これは、説明がとても難しい問題です。ですから、「とにかく大事なんです。」といった、釈然としない解説をされて、納得出来ないままの生徒さんも少なからずいらっしゃるようです。
経験上、わたしが感じていますことは、「アナリーゼに積極的でない生徒さんの殆どは、それを全面的に否定している」ということではなく、「何故それが大事なんだろう。それ分かったら、ピアノがもっと上手くなるのかな・・・。」といった、漠然とした興味を持っていらっしゃるということです。
もちろん、曲をわざわざ分析しなくとも、何となく感じたままに弾くことも出来ますが、感覚だけに頼っていると、音楽が無茶苦茶になってしまいます。そのことは、言語のルールと似ています。「おはようござい」と言うと、言語のルールにより、「ます。」という語が後続することが決定されるわけです。
それと同じように、音楽にも語法上のルールやパターンがあるわけです。そのルールを使った方が、聞く人に伝わる音楽になるのです。
例えば、ドミソ(トニック)から、ドファラ(サブドミナント)に、和声が進行すると、「情感」「広がり」を聞き手に与えますから、それに付いている旋律も、そのような弾き方をされるべきですし、シファソ(ドミナント)はトニックに進行するまでは、落ち着かない性質を持っていますから、演奏する人に対しても、それに適した緊張感を要求していてきます。
このように、和声と旋律は密接な関係にあります。
また、ゼクエンツの音型も、事前にアナリーゼしておけば、変化をつけて弾くことが容易になります。ただ反復するだけでは、退屈な音楽になってしまいますよね。
単に、何調の何の和音で出来ているという分析結果を、記号にして並べるだけで終わるのではなく、表現豊かに弾くために、楽譜に書かれていることを調べて欲しいと思います。
そうでないと、「アナリーゼは理屈っぽい作業である」という、よくある誤解を招いてしまいます。
音楽の中にある「感情」ということが、「分析(アナリーゼ)」は、一見、対極にあることのように思われがちですが、実際は、そうではありません。
感じたことを分析するということは、「音楽をより分かりやすく説明してくれる」ということに繋がってくるわけです。
理論と実技が分離することなく、互いに協力し合って、皆さまが一層ピアノを楽しむことの手助けになることを願っております。
レッスンのお問い合わせ先 wisteriarco31396@khh.biglobe.ne.jp (メール)
090(9326)9217 (SMS・電話)
他教室の生徒さんからも、「私の先生は、アナリーゼしてから演奏しろと言うから、よく分からないけど、きっと大切なものなのだろう・・・?」などといった曖昧な言葉をよく耳にします。
「アナリーゼをしてから演奏する」というのは、音楽を専門に学ぶ方にとっては、当たり前の事なのですが、その重要性を理解している生徒さんばかりではないと思います。
「この展開部分は下属調のヘ長調に転調してるわけだから、このモティーフは借用和音の非和声音から開始していることになり、したがって後続和音の展開形は・・・・・」と、楽譜と鉛筆を持ち歩きつつ、いつも呟いている学生さんも時々見かけます。
構造を掴まないことには、その楽曲をきちんと弾くことは出来ません。しかし、「そんなこと分からなくても、楽譜に書いてある音の鍵盤を押さえれば、その曲になるから、別にいいじゃん?」といった声も時々聞きます。
「ハ長調で開始しているが、途中からヘ長調に変わっている等を知った上で演奏するのと、気づかないで弾くのとでは、演奏の質が違ってくる。」ということは、レッスンに長く通っていらっしゃる生徒さんなら、理屈抜きに分かることなのですが、ピアノを始めたばかりの生徒さん方から、「どこが?何が?どう違うの?」と聞かれる先生が、多くいらっしゃるというお話を伺ったことがあります。
これは、説明がとても難しい問題です。ですから、「とにかく大事なんです。」といった、釈然としない解説をされて、納得出来ないままの生徒さんも少なからずいらっしゃるようです。
経験上、わたしが感じていますことは、「アナリーゼに積極的でない生徒さんの殆どは、それを全面的に否定している」ということではなく、「何故それが大事なんだろう。それ分かったら、ピアノがもっと上手くなるのかな・・・。」といった、漠然とした興味を持っていらっしゃるということです。
もちろん、曲をわざわざ分析しなくとも、何となく感じたままに弾くことも出来ますが、感覚だけに頼っていると、音楽が無茶苦茶になってしまいます。そのことは、言語のルールと似ています。「おはようござい」と言うと、言語のルールにより、「ます。」という語が後続することが決定されるわけです。
それと同じように、音楽にも語法上のルールやパターンがあるわけです。そのルールを使った方が、聞く人に伝わる音楽になるのです。
例えば、ドミソ(トニック)から、ドファラ(サブドミナント)に、和声が進行すると、「情感」「広がり」を聞き手に与えますから、それに付いている旋律も、そのような弾き方をされるべきですし、シファソ(ドミナント)はトニックに進行するまでは、落ち着かない性質を持っていますから、演奏する人に対しても、それに適した緊張感を要求していてきます。
このように、和声と旋律は密接な関係にあります。
また、ゼクエンツの音型も、事前にアナリーゼしておけば、変化をつけて弾くことが容易になります。ただ反復するだけでは、退屈な音楽になってしまいますよね。
単に、何調の何の和音で出来ているという分析結果を、記号にして並べるだけで終わるのではなく、表現豊かに弾くために、楽譜に書かれていることを調べて欲しいと思います。
そうでないと、「アナリーゼは理屈っぽい作業である」という、よくある誤解を招いてしまいます。
音楽の中にある「感情」ということが、「分析(アナリーゼ)」は、一見、対極にあることのように思われがちですが、実際は、そうではありません。
感じたことを分析するということは、「音楽をより分かりやすく説明してくれる」ということに繋がってくるわけです。
理論と実技が分離することなく、互いに協力し合って、皆さまが一層ピアノを楽しむことの手助けになることを願っております。
レッスンのお問い合わせ先 wisteriarco31396@khh.biglobe.ne.jp (メール)
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