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種のないパン

先日、某キリスト教会の新年会に参加したときのことです。

新年恒例の「餅つき大会」が行われており、出来立ての美味しい「お餅」を頂くことが出来ました!

「餅」は神道の習慣だと思っていたので、内心、違和感を覚えたのですが、後になって、「餅と聖書との繋がり」について知るに至りました。

旧約聖書の「出エジプト記 」には次のように書かれています。( 聖書新共同訳より引用)

エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。(12章1-2節)

あなたたちは除酵祭を守らねばならない。なぜなら、まさにこの日に、わたしはあなたたちの部隊をエジプトの国から導き出したからである。それゆえ、この日を代々にわたって守るべき不変の定めとして守らねばならない。正月の十四日の夕方からその月の二十一日の夕方まで、酵母を入れないパンを食べる。七日の間、家の中に酵母があってはならない。酵母の入ったものを食べる者は、寄留者であれその土地に生まれた者であれ、すべて、イスラエルの共同体から断たれる。(同章17-19節)

日本の正月の起源については諸説あり、不明とされている点も多々あります。ここでは、イスラエルの「過越祭」(すぎこしのまつり)という一説についてご紹介したいと思います。

「過越祭」とは、エジプトで奴隷にされていたイスラエル人(後のユダヤ人)たちが、神から遣わされた指導者モーセに率いられて、そこから脱出したことを記念する祭であります。

イスラエル人を迫害していたエジプト人の家には死の使いが訪れ、長男がことごとく死んでしまいますが、神に命令に従い、生贄としての子羊の血を門柱と鴨居に塗ったイスラエル人の家の前は死の天使が「過ぎ越した」ため、皆が無事でした。

この事件はイスラエル人にとっては、重大なものであり、最も重要な例祭としてユダヤ教の中で位置するようになりました。

神殿のない現在では生贄が捧げられることこそないものの、定められた式次第にしたがって食事をしながら、歴史を次世代に伝えていくようになっています。

さて、過越祭は春、太陽暦の3~4月頃に行われますが、現在のユダヤ暦では秋が新年とされており、過越祭が行われるのは新年ではありません。

しかしこの暦は、紀元前6世紀の「バビロン捕囚」以降に成立したものですので、本来のユダヤ暦では、過越祭が新年、つまり「正月」とされていたのです。

また祭の期間は15日(ユダヤ暦では日没に日付が変わるので、厳密には14日の夕方)から7日間とされており、日本の正月が本来は15日の「小正月」に祝われていたことや、その期間「松の内(門松の建っている期間)」が7日間であった(異説あり)ことと共通しています。

「過越祭り」は「種入れぬパンの祭り」とも呼ばれており、「種を入れないパン」(酵母、イーストを入れずに焼くパン)が重要なものです。

これは、イスラエル人が慌ただしくエジプトを脱出したときに、生地を発酵させる時間がなく、種なしパンしか食糧として用意できなかったという事態を記念したものですが、ここでの「イースト(パン種)」には「人間の罪の性質」という深い含みがあるそうです。

さて、稲作を農耕の中心としていた日本で、小麦粉の代わりに米でこのような物を作るとしたら、何が出来るか考えてみました。すると「餅」という結論に至りました。

「種なしパン」のことをヘブライ語で「マッツァ」 と言いますが、これは複数形で「モチ」となります。

日本の「モチ」と同一の発音であることが単なる偶然であるのか、日本の正月の起源をユダヤの儀式と重ね合わせるのが正しいのかは分かりません。

しかし両者を結び付けるのに、更に、次のような興味深い事実もあります。

日本では餅を重ねて「鏡餅」が供えられますが、過越祭でも「マッツァ」は重ねて食卓に供されることや、過越祭では、祭の前に、パン種を除去するため家中を大掃除するように、日本でも正月前に大掃除する習慣があること等です。

「正月の門松や注連飾り(しめかざり)は、過越祭の時、門柱(かどばしら)と鴨居に塗った血を表している」と、牧師さまに教えて頂きましたが、正直なところ、血と門松では全く違うような気がしますし、正統派のユダヤ教にはこれに類する風習はないなどの事実より、現在の正月の起源には、やはり何か別の要素が加わっているように思います。

伝統や行事の起源について考察させて頂きつつ、美味しいお餅をいただくことが出来て、今年も楽しい一年のスタートになりそうです!


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