日本全国のピアノ教室が5000件以上掲載!

ハバネラ:キューバのリズムが描く音楽の歴史

皆さん、こんにちは。前回は、「ハバネラ」というキューバ発祥の音楽が、なぜか多くの人の中でスペインと結び付けられているということをお話ししました。

ハバネラと聞くと、多くの方はビゼーの歌劇《カルメン》に登場する「ハバネラ」を思い浮かべることでしょう。これはスペインのセビリアを舞台にしたビゼー作曲のフランス語によるオペラです。しかし、その起源は少々複雑で、コントルダンスという踊りまで遡る必要があります。コントラダンスは古くからイギリスの田舎にあった踊りですが、イギリス宮廷を経由し、17世紀からフランスに伝わりました。これは2拍子系の速いテンポを特徴とする舞曲です。

17世紀のフランスは、世界中に植民地を増やしており、強大な力を誇っていました。その中でも、中米カリブ海に浮かぶハイチは、砂糖(サトウキビ)の生産において非常に重要な植民地となっていました。つまり、ハイチで砂糖を生産すれば、大きな利益を得ることができたのです。 こうして、フランスから土地を買う余裕のある多くの人々がハイチへ渡りました。

しかし、砂糖を生産するというのは、多くの力作業を要するもので、その労力のほぼ全てが奴隷によるものであったため、彼らの不満は増大してゆきました。そんな最中、1789年にフランス本土でフランス革命が起こります。掲げられた標語は「自由、平等、友愛」。その影響は、フランスの植民地ハイチにも届き、奴隷たちも自由を求めて戦いました。これが、ハイチ革命です。そして1804年、近代史上初の自由黒人による独立国家、ハイチが誕生しました。

こういう動乱の最中にあって、革命で居場所を失ったハイチ居住のフランス人たちが、隣国キューバ(当時はスペイン植民地)へ逃げ込んだのです。そうしてキューバへ逃げてきた人々が、もともと彼らが踊っていたコントルダンスと、キューバで踊られていた踊りを融合させ、ハバナ風コントルダンスを作り上げていきました。

この「ハバナ風コントルダンス」は、スペイン語でcontradanza habaneraと書くのですが、「ハバナ風」を指す言葉、habaneraが独立し、「ハバネラ」と呼ばれるようになるのです。

このような経緯でスペインの植民地キューバへ逃げ込んだフランス人が踊ったハバネラは、他のスペインの植民地へも急速に広がり、その人気はカリブからスペイン本土へと波及しました。もともとは快活で陽気だったハバネラですが、当時のヨーロッパの音楽趣味を反映させ、テンポはゆったりとしたものへと変容していきました。

オペラ「カルメン」の中に登場する「ハバネラ」は、実は作曲者ビゼーが、ハバネラのリズムをスペインの民族舞曲のものと誤解して用いていたのだそうです!

さて、我々が音楽の世界を探求する中で、一つ忘れてはならないことがあります。それは、「誰もが間違えることがある」ということです。はい、あなたが読んでいる通りです。大作曲家であろうとも、間違えることはあります。ビゼーも例外ではありません。

ビゼーが「ハバネラ」のリズムをスペインの民族舞曲のものと誤解して用いたというエピソードは、その証拠と言えるでしょう。しかし、これがビゼーの「失敗」だったと言えるでしょうか?私たちは、彼の「間違い」によって生まれた美しい「ハバネラ」を愛してやまないのですから。

だからこそ、音楽の旅は素晴らしい。間違いから学び、新たな発見へと繋がる。それが音楽の魔法です。そして、それが私の教室で皆さんと共有したい音楽の喜びです。

「ウィステリア・ピアノクラス」で検索して、ホームページからお気軽にお問い合わせください。ビゼーのように、私たちも一緒に新たな「間違い」を探求し、そこから生まれる美しさを共有しましょう。



↓お問い合わせは、こちらからどうぞ!↓
↑体験レッスンお申し込みも、こちらからどうぞ!↑

このブログへのコメント