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四線譜と音楽の進化:グイード・ダレッツォとドレミファソラの発明

みなさん、こんにちは。昨日のブログ「ゼロから五へ」では、五線譜についてお話ししました。今回は、予定を変更して、四線譜についてのお話になります。

キアラ・フルゴーニ女史によって書かれた「中世の発明品・普及品」のリストには、「サンタクロース」「トランプ」「ベルト」「とんがり帽子」「フォーク」「取り外し可能な袖」「メガネ」「パスタ」などがあり、大変面白いものです。このリストは、「軽やかなユーモアとともに書かれた中世の発明辞典」と評されています。

この書籍の中に、「四線譜 ( tertagramma )」という項があります。この四線譜を考案したのは、グイード・ダレッツォ(992年から1000年頃出生、1050年から1080年頃没)で、彼は音楽教育者として知られています。

彼はベネディクト派の僧で、フェッラーラ近郊のポンポーザにある修道院に滞在中、聖歌隊に正しい音階を教えるのに大変苦労しました。その結果、正しい音階を即座に理解できるよう音符を生み出しました。

彼の「音符発明」は他の修道僧たちの嫉視の的になり、僻地とも言えるアレッツォに送られてしまいました。しかし、彼の代表的論文である「ミクロログス ( Micrologus ) 」はこの地で書かれ、彼を献身的に支えたテダルド大司教に捧げられました。

グイードは「楽譜の重要性」を特に強調し、四線譜を定着させました。当時の音符は四角い形をしており、音符の色によって音階が示されていました。これは現代の色音符に似ています。

さて、このグイード・ダレッツォこそが、「ドレミファソラ」を発明した人です!彼は8世紀ごろから存在していた「聖ヨハネ賛歌 ( Ut queant laxis ) 」を編曲し、歌詞の初めの文字をもって、現代の「ドレミファソラ」としました。

イタリアでは1635年以降、最初の「Ut」が「Do」へと変わりました。ただし、「Si (シ)」が生まれたのは15世紀です。

五線譜が定着するにあたって、四線譜や六線譜なども使用されていたことも興味深いです。次回は、前回の予告通り、ト音記号、ハ音記号、ヘ音記号についてご一緒に見ていきましょう。

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