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Yes or No

アメリカ在住の際、Yes or no?とよく聞かれた。度重なるどちらともとれる返事に困ったようであった。しかしそこをはっきりさせるのがアメリカ流なのだろう。ではグレーゾーンはないかというともちろん存在するが、比較すると日本より少ないということだ。自分の気持ちを声にすることは日本より重要なことだと学んだ。

そうなると英語をかじっている人間の間で話題になるのは比較文化論であったが、日本人夫婦は、夫が「おい」と言えばお茶が出てきて、次に「おい」と言えば新聞が手渡される。日本人の気配り、今風に言えば空気を読む能力はすごいという話になったり、亭主関白は困ったものだとなるときもあった。(現代の日本人夫婦は逆転しているようだが)
それに対して、アメリカ人夫婦は一日に何度もI love you, Honey. Me, too, Darling.などと確認し合う。また、私がお世話になっていた家庭では3年間毎日欠かさず私にコーヒーにミルクや砂糖を入れるのか否かを聞いてくれた。

そこで日本人の間で話題になるのは、そんなこと1回2回確認すればわかるだろうというのが多くの日本人の感覚で、何度でも確認しなくてはわからないというのがアメリカ人の感覚であって、この感覚のずれはずっと平行線のままだというのが20年前の結論であったが、今はどうだろう?

Yes or Noの話に戻ると、私は生徒達に自分の考えを声にするようにいつも指導している。それが良いかどうかは考えることも多々あるが、私の基本姿勢である。よく沈黙を意思表示の手段にする人間がいるが、本人は意思表示のつもりかもしれないが、されたほうは何が原因かさっぱりわからないし、問いただしてもそうだともそうでないとも言わないので皆目だんまりの見当がつかない。第一私はその手法は卑怯だと感じる。

子供の頃兄弟喧嘩でなんでだんまりするんだと兄に言ったら、お前に説明したところでわからないから時間の無駄、黙っていた方が話がこじれないと説明されたことがあった。まあそれなりにだんまりの手段を使う理由はあるようであるし、親子、夫婦、友人、仕事、師弟間でも普通に使われる手法であるのかもしれない。しかし、それをやられると私は非常にしんどく感じるので、他人を思いやれる気持ちがあるのならその手段は使うべきでないと生徒に指導する。20年前の世界の日本人の見方に、日本人はいつもうすら笑いを浮かべながら何も言わないから気持ち悪いというのがあったせいかもしれない。


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