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習う側の気持ち

先日病院に行ったら、お医者様に気持ちきつめに注意された。先生は患者(私)のためを思っておっしゃっていることもわかるし、私のいい加減な健康管理に多少なりとも苛立ちを感じているのもわかった。多分そんな生活していたら具合が悪くなるのは誰が見ても明白。具合が悪くなってそれ見たことか。なんでそんなに悪くするまでほっておいたの?ということなんだと思う。また、そんなことじゃ通院して良くなっても、今の生活を改めなければまた同じことの繰り返しだよと警告していることもわかった。

でもできないんだよねえ。というかしないんだよねえ。だらしないとも言えるなあ。でそれがきちんとできるからお医者さんになれるんだよなあと思うわけだよ、下々(*1)としては。

さてさてこれを自分のピアノや英語の指導にあてはめて考えてみる。子供たちは毎日練習しなくてはいけないことはわかっている。でも基本練習はしたくないから、あれこれ理由を作って練習をしないわけだ。

それは生徒だけでなく保護者にも言えるわけで、学校の勉強が第1優先で、ピアノは人生が豊かになってくれればいいと思って習わせているので、楽しくなければやめていいもわけだ。そうすると、他の習い事でございます、家族行事でございます、雨降りでございますと休むわけだ。これでは子供が練習しようと思っても親のせいでできないことも出てくるわけだ。 

いくら生徒さんのためであっても、愛があっても、誠意を持ってお話をしても、語気が強ければ、受け取る側では、きつく注意された、怒られた、叱られたとなるわけで、大人になればさらに顕著で、どんな人間であれ人様に迷惑をかけないで暮らしている以上は一角の人間なわけで、特に昨今、嫁姑、会社の上司部下などの立場も対等となってくれば、指導者であっても(*2)今まで以上に気を付けて話さないと、一角の人間として認めていないという、いわゆる「上から目線」になるのかもしれない。
そしてこれがまた、現代のパワハラがパワハラと呼ばれる由縁なのかもしれないと感じたできごとであった。気を付けないと。
文を読み直したら、*1, *2ときっと物議をかもすのだろうなあと思った。

*1患者は下々なんて思ってないもん。
*2指導者であったら上からものを言うのは許されるの?と最近では議論になるのかも。生徒が来てくださるからこそ教室が成り立っている感謝の気持ちはいつも感じています。


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