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褒めるだけで育つなら昔からやってるって

以前書いておいたものを見つけたので、先月と同様褒めて育てることについて書いてみる。
若者の特徴として大してできもしないのに妙に自信だけはあることが挙げられる。それが若者の特権だろうがとおっしゃる方、その通り。それはそうなのだが、例えば高校のときに3カ月柔道部に在籍して、基礎訓練を終わらせてさあこれからというときにやめたのに、柔道をやっていたと話してしまうようなタイプのことである。 あの妙な自信というか、極端な自己肯定感は、注意されないで育ってしまったせいではないかと私は分析している。言い換えれば褒められるだけで育てられた人間のことである。

ピアノの話に置き換えよう。私自身は褒めるのと注意するのと両方行っている。実際高校生位になって、対等に話せるようになった生徒達が、先生は褒めてくれるだけでなく、悪いところも言ってくれるからいいと話すので、まんざら嘘でもないのだろうと思っている。(自慢して聞こえたら)

あみかの生徒は、褒められると安心するのかやらなくなってしまう生徒が多い。練習の大嫌いな子が気まぐれで練習してきたりすると、「今日はたくさん練習してきたようだね。わかるよ。練習するとその分ちゃんと上手になるね。注意されるより褒められる方が気持ちよくない?先生もいろいろなことが教えられるのでうれしいし、ピアノがもっと早く上手になれるよ。この調子を続けられるかな?」などと声掛けをする。子供はにんまりして、すごく気分がよくなって帰り(少なくとも私にはそう見えるのだが?)、私もこれを機に練習するようになってほしいと祈る。しかし次の週になると、たいてい見事にこの期待は裏切られる。それじゃあと思って厳しく接すると、私の思い通りに練習してくれる子が多い。敵もさるものどこまでさぼれるかうかがっているのだ。

そこで教師仲間で議論になるのが、「先生が怖くて練習しているのは練習じゃない。結果我が子はピアノが嫌いになってしまった。」という保護者の訴え。ふむふむ。そういう人も確かにいますね。しかし逆に、少し我慢して山をひとつ乗り越えてくれるだけで、飛躍的上手になって、聞き映えのする曲が弾けるようになる子もいる。そういう子供は、つらい練習の向こうに楽しいことが待っていると学習するのである。そんなとき、練習は大変だけど、いろいろ弾けるようになったので楽しいと言ってくれることが多い。


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