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「間」と「呼吸」

小学生が音読を始めるとき、
読点に1秒、句点に2秒空けると
相手に伝わりやすく、言葉がきちんと届きますよ~と、
教わったりします。
アナウンサーの方のしゃべり方がどんなに早口でも
単語や文の流れがわかりやすいように聞こえるのは
その延長線上の更に高度な訓練の賜物でしょう。

朗読のみならず、
舞台や演劇、
日本文化の能、狂言。歌舞伎
落語、漫談、漫才、コント・・・・に至るまで。
それぞれの要求されるものは違っても、
「間」という時間が流れ、
その微妙な頃合いも、演者の能力のうちとされます。

文字の作品にしてもしかり、
小説も手紙もましてや「詩」など、
それも組み込んで~の作品となるもので、
これは~読み手の自由な時間にゆだねられますが、
きっと作者には作者のお好みの「間」があるのではないか?
と悩んでみたりもします。

さて

こうした「間」に至る前ではありますが、
音楽教育で非常に気になることがあります。
演奏する~というと少し大げさかもしれませんが
「音を出す」前に───たとえそれが指の練習だとしても───
「音を出す」に至る流れ?があると思うのです。
楽譜には書いていない沈黙の一瞬が。

特にピアノの場合、その一瞬なくして音が出てしまう楽器なので
非常に顕著です。
管楽器だと、不用意に音が出せません。
必ず息を吸う楽譜に書いていない一瞬の時間とも測れない「間」があります。
弦楽器の場合は弦を構えるという一連の動作が伴います。
声楽もそうです。
いきなり、声を出せずまず息を吸います。
その一瞬に「自分が音を出す」という意識が嫌が応にも芽生えます。

さあ、これがピアノのレッスンになると違うのです。
また、姿勢を整えなくても指先ひとつで音(それが良い音であるはずもなく)は
簡単に「出る」のです。
「じゃ、ここから弾いてみて」・・・に、
すぐさま、ポロンポロンと音が出てくる
楽譜を指さした私の指がまだ譜面台から離れる前に、
いえ、「弾いてみて」の言葉とかぶさるごとく~の場合も。
言葉を待つより先に弾きたかったのかもしれません。

でも、たとえ短いフレーズの練習だとしても、
それは作業でなく、音楽の1フレーズであり、音楽を作る1音です。
プロのごとく込めろ~というのではなく、
もっと気楽で良いので、音楽が作っている空気に乗っかる~ような準備・・
ちょこっと息を吸う?をして欲しいと思っています。

人間にはもともと「吸って吐く」という呼吸というリズムが
余儀なくさせられています。
もちろん、複雑なリズムや音楽、そして運動をする際など
自己コントロールを強いられますが・・・。

まず、自然に音楽的な準備の間を作る際、
その普遍な運動を利用することはできます。
小さなお子さんの場合、「いちに」とか
「いちにっさん」とか「ど~ぞっ」とか
もともとある強弱の波に乗っかってもらうよう水を向けることがしばしばあります。
そのようにしているうちに、
自然とその流れを意識してくれることがほとんどです。
そのうち、もっと短時間でも必ず作れる絶妙な「間」を体得してくれたりします。

その音楽の時間の流れをいうのは
(多くの基礎の勉強の間は)
西洋音楽のソレであることが多いです。

その昔、東京芸術大学のソルフェージュの最初の授業で
恩師永富正之先生がおっしゃったことが忘れられません。

古来、日本人は生きるための食糧を田畑で造る農耕民族で、
耕すとき、えいっと桑や鋤を振り下ろし、
そして自分のタイミングでまた振り上げる~~
けれど、
西洋人は、狩猟が主流であったため、
狩りを行う・・
弓を放ったあとも、石を投げた後も、
必ず弾みをつけて次の行動に移るための動き(フェンシングのような)
がある。
それが
必ず強迫と弱拍を一定のリズムで生み出す音楽の基となった・・・
というお話をされ、
それまで漫然と西洋音楽と向き合っていたのではないか?と
大学生だった私は目が覚めた思いだったのを思い出します。

今では様々な音楽ジャンルがあふれ、
昨今のお子様はそれぞれに適応能力が高いと思われますが、
「音楽的」ということを
演奏能力と誤解しないでいただきたいな~と思います。
音を出す前の瞬間から
「音楽的」であることが日常のお子さん、
いらっしゃいますし、
そのように育てたいと思っています。















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