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楽譜を選ぶ

楽譜を選ぶ、ということについて。
とても大切なことなので、またまた長ーい記事になりました。

あるコンクールに向けて、小学生のレッスン会員さんがクレメンティのソナチネに取り組むことになりました。そのコンクールでは楽譜の指定はなく、各社から出版されているソナチネアルバムを使用すること、となっています。

各社のソナチネアルバムを見てみると、同じ曲の楽譜でも違いがあります。音の違いはさすがにないのですが、アーティキュレーションの違いがたくさんあるのです。アーティキュレーションとは、ざっくり言えば、ある音から次の音へつなげるか、区切るかということ。メロディーの抑揚や楽曲全体の表現に直結する、非常に重要な要素です。

違いがある理由は、楽譜によって編集者が違うからです。出版当時の音楽観や編集者本人の音楽的趣向が反映されているのです。

作曲者のクレメンティ(1752-1832。モーツァルトともベートーヴェンとも知り合いだった、当時一流のピアニスト/作曲家/教育者/音楽事業経営者。マルチな人!)がこのソナチネを初めて出版したのが1797年。楽譜にはアーティキュレーションの情報がほとんど書かれていません。当時は世代間の口伝や著名作曲家による教則本によって、演奏習慣(または様式、スタイル)が確立されていたのです。演奏家はその演奏習慣により、楽譜に書かれていなくてもアーティキュレーションを付け加え、楽曲を正しく解釈して演奏することが出来たのです。

このソナチネは当時から「教育的作品」として使われていました。ピアノ教師たちも、当時の演奏習慣に基づいてアーティキュレーションや表現を教えていたはずです。
つまり、「楽譜通りに弾いて!」というレッスンではなく、楽譜をもとに音楽表現を付け加えていくレッスンだったといっても過言ではないと思います。


さてクレメンティのソナチネの初版譜はペトルッチ音楽ライブラリーで誰でも閲覧出来ます。アルタリア社による初版譜(1798年のもの)で、ソナチネ第1番(作品36−1)の冒頭部分がこちらです↓
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なんともシンプルな楽譜!
小節線が1段ずつしか書かれていないので、ちょっと読みづらいですね。

☆強弱記号はp(ピアノ)しか書かれていません。
☆指使いは一切ありません。
☆スラーやスタカード等のアーティキュレーション指示も、一切ありません。

当時のピアノ教師たちはこの楽譜を使いながら、生徒に合わせた指使いを工夫したり、演奏習慣に基づいた音楽表現を付け加えていたと思われます。

一方この当時、ピアノという楽器自体が劇的に進化していました。クレメンティ自身がピアニストであり教師であり作曲家であり、はたまた楽器製作販売業も経営していたという、ピアノ業界の最前線にいたのです。楽器の進化にとても敏感でした。楽器が進化すると表現の幅も広がり、演奏習慣は少しずつ変化します。そういうわけで、彼はこのソナチネに改変を加え、楽譜も重版され、第6版の楽譜では指使いやアーティキュレーションが追加されたそうです。
(出典:全音楽譜出版社「ソナチネアルバム第1巻 初版および初期楽譜に基づく校訂版」巻末注釈)

その後、ピアノという楽器はさらに進化し、演奏習慣も変化していきました。それについては前回ブログでご紹介した野平一郎氏の本に詳述されています。


初版から1世紀近く経っても、クレメンティのソナチネはピアノ教育に欠かせない作品として楽譜が出版されていました。ただし、その頃には編集者によって多くの〈解釈〉が追加されて出版されたのです。その〈解釈〉は19世紀後半の、リストやブラームスやワーグナーが活躍していた当時の演奏習慣や音楽観を反映したものでした。その〈解釈〉のほとんどが、アーティキュレーションの指示という形で楽譜に追加されました。

ここで問題なのは、「アーティキュレーションは編集者が追加したもので、作曲者は何も書いていなかった」という注釈が楽譜に無い、ということです。楽譜にいちいち注釈を書き込んでいたら、それこそ学術書のような分厚い楽譜になっていたでしょう。実用的ではありません。その他に出版社の都合もあったのかもしれません。

このような状況により、追加されたアーティキュレーションは編集者によるにもかかわらず、「楽譜に書かれていることは作曲家が書いたことで、100年前の作曲家はこのように音楽をとらえていたはず」という誤解を招くことになってしまいました。

もちろんその当時から、それ以前の時代の音楽を研究することは盛んでした。メンデルスゾーンがバッハを「再発見」したことや、ブラームスが一世代の前のベートーヴェンとシューベルトだけでなくバロックやそれ以前の音楽の研究に没頭していたことは有名です。

しかしながら、前の時代の音楽を〈正しく〉理解していたのは、おそらく一握りの音楽家だけだったしょう。

ソナチネを弾こうとするピアノ学習者たち、そして彼らを教える教師達にとって、出版譜による影響は非常に大きかったと思われます。

ペータース社から1878年に初めて出版された「ソナチネアルバム」に収録されている、同じクレメンティのソナチネの冒頭がこちら↓
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☆強弱記号がありますね。fとp。
☆指使いもたくさん書き込まれています。
☆スラー、スタカートなどアーティキュレーションの指示がたくさん!


同じ曲とは思えないほどに楽譜が違うということが、分かるでしょうか?


そして現在ソナチネアルバムとして広く普及している楽譜は、このペータース版を元にしているのです。つまり19世紀後半の音楽観をそのまま受け継いでいる、ということですね。

しかしながら、近年(といっても数十年ほど前から)は18世紀当時の演奏習慣や音楽観の研究が進み、その研究に基づいた楽譜が出版されています。日本でも全音楽譜出版社から2003年に新しく出版されたソナチネアルバムが、その例です。

ソナチネアルバム 第1巻/第2巻 初版及び初期楽譜に基づく校訂版  今井顕 校訂

この楽譜には巻末の注釈に丁寧な説明があります。楽譜自体には注釈が少ないので実用的。作品本来の姿を探っていくには、この楽譜の方が断然お勧めだと思います。


2003年だから、もう20年近くも前に出版されているのです。
ここで問題は、ペータース版をもとにした「古い」ソナチネアルバムの方が、現在も楽譜売り場では主流だということです。

お値段も、「古い」ソナチネアルバムは1,000円程度だけど、上記の校訂版は2,000円以上するし、収録曲は少ない。
そりゃ、お得感がある安い方を買いますよね〜。
全音楽譜出版社さんが「古い」ソナチネアルバムを絶版にして、自社のソナチネアルバムを上記校訂版に統一してくれたらいいのに、と思いますが。
そこは色々と事情があるのかしら?でも、20年近くこの状況??

ピアノを教える立場にいたら、楽譜出版の経緯を把握した上で楽譜を使いこなすことが大切だと思います。
例えば生徒が「この楽譜にはここにスラーがあるのに、どうしてもうひとつの楽譜にはスラーがないのですか?音は同じなのに。」と質問してきても、歴史的な背景をふまえて答えられるといいですよね。

長くなりましたが、楽譜を選ぶことの大切さについて、書いてみました。


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