沁みとおる音

京都のお寺の映像のBGMにモーツァルトが流れています。ふと昔の人の耳に聞こえていた音に想像をめぐらします。現代人は騒音に慣れていて、耳がよく言えばタフ悪く言えば鈍感になってきているのかもしれません。

　目をつぶって音だけに集中すると、本当にいろいろな音が聞こえてきます。鳥の声、飛行機の通る音、車のエンジン音、道路を通り過ぎる人の話し声、樹々が風にそよぐ音、お布団をたたく音、キッチンの冷蔵庫の音、換気扇の回る音、そして自分が呼吸する音…。街に出ればトーンも種類ももっとたくさんの音が押し寄せてきます。

　外出から疲れて帰ってくると、靴を脱いで足が疲れていたことに気づき、騒音から解放されたことで耳が疲れていることに気が付きます。そんな時はお風呂に入ってゆっくりしたり、静かにお茶を飲んだりといろいろな方法がありますが、ピアノを弾くことが案外耳を休ませます。疲れた耳にまた音を聞かせるというのは意外ですが、いい音は騒音で硬直した耳と身体をリラックスさせます。

　毎日部活に勉強に大忙しの中学生の生徒さんC子ちゃん。毎回レッスンでまず私が尋ねるのは「大丈夫？？」です。垂らした前髪は汗ばんで、その間から見える目は疲れているのに妙にぎらぎらしてかなりの疲労感を醸し出しています。指慣らしの練習曲を弾くとピアノの音が本来のC子ちゃんらしくなく、キンキンしています。そんな時はまず深呼吸して肩の力を抜きます。そのあと私が、疲れた時に心地良いよく響くちょっと弱めの音を弾いてあげて「ゆっくりでいいからこんな音で弾いてみよっか～。」と促すと、すぐにC子ちゃんは憑き物がとれたように音が柔らかくなり指の動きもスムーズになりました。特に疲れている耳には重音（二つ以上の音の組み合わせを一度に弾く)をいい音で響かせると指も心も柔らかく温かくなり、それを耳が聴いて更に弾いて出す音がよくなり相乗効果でいい方向に向かいます。よく聞いて選んだいい音は人を安心させます。

　古代ギリシャでは“この世の人間には聞こえない宇宙のハーモニーが存在する”と言われていたのだとか。何気なく出してしまうピアノの音も、よく吟味して響き合わせると細胞の奥にまで沁みとおるような音が出ます。宇宙のハーモニーに近い音はきっと人を癒すナチュラルでピュアな音。偉大な音楽家や静寂の中に過ごす時間が多かった大昔の人には、宇宙の音が自然と聞こえてのかもしれません。

　月に２回、忙しい中がんばって通ってくるC子ちゃんは、いつもレッスンの終わりにはすっかり元気になって笑顔で帰っていきます。音の威力には脱帽です。


　　　熊本市東区健軍
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