日本全国のピアノ教室が5000件以上掲載!

ショパンが愛した人 ジョルジュ・サンド

ハートピアノ教室



 肖像画の中でショパンの愛人ジョルジュ・サンド(George Sand、1804-1876)は、花の髪飾りを付け大きな目でじっとこちらを見ています。美しく吸い寄せられそうな瞳の中に、ショパンがこの女性に惹かれたものを見いだしたくなります。彼女は6歳年上。バツイチ。男性のペンネームを持つ女流作家。そして二人の子供を自分ひとりで育てるという自立した女性でした。

 ショパンはサンドへの第一印象を「その表情には共感できない何かがあります。近寄りがたい人です。」と述べています。しかし、第一印象の悪さは愛の裏返し。まさに強い衝撃を受けて心に相手の存在が刺さった証拠です。ショパンはこの恋で、心と経済面での両方の安定を得て作曲に専念できるようになりました。


 ベートーヴェンのように、パトロン探しや楽譜を売りさばくことにまでエネルギッシュで、自分の主義主張を押し通す強さを持っている芸術家ばかりではありません。いいえ、そのほうがむしろまれで、芸術家の感性はあまりにも繊細過ぎて傷つきやすく、生活の安定やお金儲けには不向きです。氷のように壊れやすい心を持ちながら、凡人が無遠慮に放ってくる矢の中を生きていかなければなりません。シューベルトは数千という膨大な数の名作を書きながらも、放浪し、淋しく死んでいきました。しかし彼は後世に名が残ったからいい方で、ほかにも才能がありながら名も知れず貧しさの中で死んでいった芸術家はいくらだっているはずです。ショパンも芸術とお金の両方を解決するには、あまりにも病弱でした。


 フランス中部の村ノアンでショパンはサンドに守られながら、日常の快適な生活環境を整えてもらい、健康的に暮らすことができ、芸術だけに没頭します。作曲部屋は防音ドアになっていて、ふかふかの生地で覆われていました。ショパンが外界の音に煩わせられないようにとの配慮で特注されたのでしょう。彼が作曲部屋で芸術と対峙しながら苦悩し、祈り、悶絶している姿をサンドが描写している文章がありますが、彼は何の心配もせずに、外界の騒音からも遮断されて、自分だけの世界に心置きなく集中することができました。

 ジョルジュ・サンドがいかに前衛的で無鉄砲で気ままだったかを語る人もいますが、気難しいショパンの心をとらえたからには相当魅力的な女性のはず。そのまっすぐな瞳はショパンの才能を見抜き、心をもとらえました。彼女は、この偉大なる芸術家を支え、ショパンコンクールで次々と弾かれる数々の名曲の誕生に大きな役割を担いました。


 ショパンを演奏するときに聴こえてこなければならないのは“美しさ”“気高さ”はもちろんですが「“後悔”に満ちていなければならない」(エヴァ・ポブウォッカ/ショパンコンクール審査員)のだそうです。思えば、ショパンの人生は意のままにならないことばかりでした。祖国や家族との別れ、不治の病、フィアンセとの破談、そしてサンドとも最後には破局します。ショパンの人生にこのような苦難がなく、ポーランドで幸せに暮らしていたら今のような彼の名曲は生まれたでしょうか。


 サンドとの別離の時、ショパンは多分まだ愛しているのに眉一つ動かさずに「お別れしましょう。」と静かに言ってのけたのでしょう。後悔したとしても。


  熊本市東区健軍 HEART PIANO ハートピアノ教室
































































,


↓お問い合わせは、こちらからどうぞ!↓

↓お問い合わせ・体験のお申し込みはこちらから!↓

この教室へお問い合わせ

↑体験レッスンお申し込みも、こちらからどうぞ!↑

このブログへのコメント