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謝らなくなった日本人

最近レッスンに遅刻してきても謝らない生徒が増えた。あまりひどいときは「何分から遅刻とみなすと思う?」などと皮切りに聞いてみるのだが、カエルの面に水でさっぱり効き目がない。そんな折、謝ることがどう変化してきているのか巷の様子を探ってみた。

従来日本には謝らなければ始まらないという考え方があったが、最近では海外企業の進出により向こう流の接客マニュアルも入ってきて、随分と様変わりしてきている。
その1つに「すみません」を「ありがとうございます」に置き換えることが挙げられる。「○○ご遠慮ください」であったものが、「○○のご協力ありがとうございます」となるのは肯定的だし相手の意図することが十分理解できるが、最近は首を傾げたくなることも増えてきた。

先日外資系喫茶店でナプキンが切れていたので出してくれるよう頼んだところ、「教えてくださってありがとうございます」との返事。本来あるべき所にあるものがあるように目を配るのが仕事の1つで、それを怠っていたのだから、第一声には「すみません」を期待してしまうのだが意地悪であろうか?多分私なら、不便をかけたことに対して詫びるだろうし、指摘してくれたことに対して礼を言うような気がするが。。。うざい?

別の日には、ラジオのアナウンサーがうっかり時刻を間違えてしまったときがあった。「間違えてお伝えしてしまってたくさんのご指摘をいただきました。ありがとうございます。」と話していた。ありがとうであってすみませんではないのだ。昔堅気の人間としては、こんなときも第一声はやはり「すみません」の一言ではないかと感じるのだがいかがだろう?本来謝るところを、「ありがとう」にすり替えてごまかしているように感じてしまうのは私の性格がひねくれているから?

I’m sorry.という言葉は、自分の非を認めるということだから、海外ではそう簡単に使ってはならないと言われたことがあった。確かに訴訟に明け暮れる国では、その一言に判決を決定づける深い意味があるのだろう。そういう文化が日本に流入するにつれ、世の中がギスギスしてきたように感じる。基本、日本のごめんなさいは、人間完璧じゃないしお互い様だからねの気持ちが含まれているのではないかな。

幼稚園児の喧嘩を見ていても、喧嘩両成敗、ごめんなさいで仲直りねという指導も非常に減ってきていると感じる。こんなこともきっと謝らないで良しとする考えを助長しているのだろう。


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