達成感を一度手放そう!(自戒の念より)
子供が音楽を「好きだ」・・・とか「楽しい」・・・と自覚するのは
どんな時だろう?
ピアノを教えていると~
`素敵な曲’~とあこがれていた曲を弾けるようになった時!
と、思い込んでしまっていた自分がいますが、
確かにそれは「達成感」とか「満足感」とか
そして最終的には音楽を深く愛したり、生きがいにしたりする1歩にはなるのでしょうが、
もっと単純に考えると
大人と違って、子供は合唱や合奏を‘誰かと一緒に’───それは友達や家族という
親しい間柄であればあるほど───ただ音を共有する・・・それだけで
楽しく、幸せなんじゃないかな・・・・と。
唐突にこんなことを考えたのは・・・
またまた昔を思い出していた時。
音楽を専門にするなどと考えてもいなかった子供のころ、
それでもすごく音楽に惹かれた記憶。
小学1年生の頃、
当時どこかの番組で午後「名作劇場」のような洋画をやっていて。
毎回観ていたわけではないのですが、
その時出会った二本の映画。
「野ばら」と「永遠の調べ」
後者はまた別の機会に書きますが
「野ばら」は、ハンガリーからオーストリアへ難民として入ってきた少年が
とても美しい声の持ち主で、知り合った面倒見の良い老人が
彼をウィーン少年合唱団へ入れ、その中での物語なのですが・・・。
ま、物語というより、ちょこっとしたシーンに引きこまれたのです。
そのウィーン少年合唱団の入団(?)試験の際、
彼が試験の歌を歌っていると~~~
既に団員の少年たちが寄ってきて、即興でハーモニーをつけながら
素晴らしい合唱になってしまうのです。
それは衝撃的でした!
こんな世界、楽しいだろうな~~っと。
何十年も後、
時代が便利になり、そのDVDを購入し、おこちゃまだった時の
自分の感動の記憶を確かめるべく鑑賞しましたが・・・再度感動。
まあ~後半ずっと流れているシューベルトのアヴェ・マリアにも
圧倒されましたが・・・当時はそれを理解していたかどうか?
それでも、私はずっとシューベルト好きになっていたのは
その時の刷り込みかな?
(ちなみに永遠の調べはシューベルトの映画なのです)
どうも・・・刷り込まれやすいたちだった?(笑)
さて、
もともと音楽の発祥は~大勢の人々が声を出して
祈りだったり、感情だったりを表現して
「音を共有する」ことが自然の発露として誕生したものなのだから・・・
ピアノを習いに来たからといって
まだまだその「音楽が楽しい」という手順を踏んでいるとは限らない。
特に小さければ小さいほど・・・。
そこの時間を少し作ってあげる~とか、待ってあげる~~ことは
大事だなあ・・・・と。
指導者という立場になると
どうしても「達成感」を味合わせてあげたい!!!
そして、一緒に喜びたい!
それが自分のモチベーションになってしまっていることに気付き、
反省しきり。
そこに至るまで
「達成感」より先に欲しいもの、感じたいものを共有しなくちゃねえ?
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