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バッハの息子ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ 【前編】

今日は、バッハ(ヨハン セバスチャン バッハ)の長男 ヴィルヘルム フリーデマン バッハ についてお話ししたいと思います。


ヨハン・セバスチャン・バッハの 最初の妻 従姉マリア・バルバラでの間に 7人の子どもをもうけ 2回目の妻ソプラノ歌手 アンナ・マグダレーナでとの間には、13人の子どもをもうけた子沢山と 知られていますが、
男子11人、そのうちの5人は夭折しているので 6人が成人したことになります。
そのいずれも音楽的才能に恵まれ、 父としてヨハン・セバスチャン・バッハの息子たちが 音楽家としてより良い地位を得るように 有力者に働きかけをおこなっていたようです。


今回取り上げるのは、 長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ (1710年〜1784年 )です。 父 ヨハン・セバスチャン・バッハ、 母 マリア・バルバラ の長男として ドイツのヴァイマルで生まれ、 別名ハレのバッハと呼ばれていました。
【ハレというのは、ドイツの町の 名前で 後にハレの聖母教会オルガニスト として20年近く活躍したことで、 こう呼ばれています】
父親から 「私の心にかなった息子だ」 と言われていたほど
最も愛され高く評価されて いた息子でした。
そして、期待どおり才能にも恵まれて いました。

9歳のフリーデマンの音楽学習のために、 ヨハン・セバスチャン・バッハは 1冊の「クラヴィーア小曲集」 を書き上げたのですが、
それをもとに 「インベンションとシンフォニア」 が作られました。
フリーデマンは実際才能に恵まれていたようで、 出版された作品は少ないのですが、楽譜に残す曲よりも、 父に似て即興演奏が素晴らしかったと伝えられています。

また、楽器演奏も一番上手で、鍵盤楽器に加え、ヴァイオリンの腕前も巧みで、 父の難曲『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』全曲を    軽々と弾きこなしたということです。

父親自身が大学に行かなかったことを後悔していたので、 ライプチヒ大学に入学させてもらって法学を学びました。
当時は、法律や哲学を学ぶことは教養として 必要とされていました。


1733年にはドレスデンの 聖ソフィア教会の
1746年にはヘンデルの生まれた町ハレの 聖母教会のオルガニストに就任しました。
ハレへの就職時には、 父親が睨みを効かせていたため 無試験だったそうです。

その後の人生については、次回に続きます。


鑑賞
♪ 普段、教室のレッスンや発表会でも よく弾かれるブルグミュラー程度で弾くことのできる「春」という曲があります。ぜひ、YouTubeで聞いてみたり、弾いてみたりしてくださいね。



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