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自由にしてくれたのは文章だった

文章を書くことは、自分にとって抵抗があることだった。
私の何かが決定、確定されてしまうような、
そんな感覚があったから。

その時の自分が選んだ、ふと思いついた、
ことばやリズムで、紡ぐ。
その文章は、その時の思い。
その瞬間に出た言葉。
出た瞬間から、もう、過去のもの。

時間が経つと、それは自分ではないような、
よそよそしい文章になってしまう。

つい最近も、IMAの路子ちゃんと話した。
自分の書いた文章や、
自分で苦労して作ったWebサイトも、
少し時間が経つと、もう古いよね、って。

古さと同時に、
書くことで、その言葉に自分が留まってしまうような、
その言葉でいなきゃいけないような、
なんだか引っ張られる感じが、ある。

文章にした途端に、
ハイ、あなたはこれで決まりね、
これで良いよね、
と判子を押されたような気になる。

もうしばらく変えられない?
契約したような、堅苦しさがある。

表現は良くないけれど、
自分の排泄物のように感じることさえあった。

文章のもつエネルギーは力強い。

過去の文章から、自分のエネルギーに圧倒されることがある。
どうやって書いたのだろうと、不思議なくらい。
書くこと読むことで、自分や人を動かせるほど、力がある。

おしゃべりはカタチには残らない。
放った瞬間、消えてなくなる。

反対に、文章たちはそこに残って、どうなるのか。

文章は、その人を表す。
その時のいろいろが、出る。
それが興味深くて、面白くもある。
人によって受け取り方はさまざま。
書くこと読むことで、「いま」の自分を、知る。
誰かの文章を受け取り、
自分の文章も誰かに届いているかもしれない。
そうやって、循環する。

もし、過去と同じような文章を、今、書いたとしたら。

似たような言葉を使ったとしても、
やはり今と過去では、違ったイメージになると思う。

今が一番新しい、わたし、だから。

そのときの熱量や思いは全くそのままではいられない。
微妙に色を変え、カタチを変え、微妙に変化している。
お天気のように。
風が吹いたり、晴れたり、影ができたり。

そんなふうに変化していることは、
ごく自然で、そこには安らぎがある。
移り変わるって楽しい、自由、心地いい。

だとしたら、その文章を書いた人は、
もうそこにはいない。
過去になってるから。
新しくなって、未来に存在してるね、きっと。

そうか。

文章が、古い私を、過去に置いてきてくれたんだ。

だから、いつでもこの箱を出られる。

私を自由にしてくれたのは、文章だった。


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