ヨハン・セバスチャン・バッハ
今日もこのブログへ来てくださり、ありがとうございます。
今日のお話は、1675年生まれ、1750年没の音楽家、ヨハン・セバスチャン・バッハのお話をしたいと思います。
私は最近とてもバッハに惹かれていて、彼の作品を一生弾いていさえすれば、他に欲しいものは何もないんじゃないかと思うくらいです。
バッハは一生涯中北部ドイツにて活動し、ドイツの外へ出ることはありませんでした。
バッハ家は代々音楽家を生業とする家系で、その歴代の音楽家の中でもヨハン・セバスチャンは超ヘビー級の天才でした。
彼の仕事は、キリスト教の教会で行われるミサ(儀式)で使用する音楽の作曲と演奏の指揮を司ることに始まり、転職後は、宮廷貴族のおかかえ音楽家として活躍し、その後再び教会の音楽総指揮官として活躍しました。
つまり当時の社会に応じた「音楽プロデューサー」です。
家庭では、彼は子だくさんです。奥さんは一人目の方を亡くされた後に二人目の方を迎えたので、二人。
子供たちの音楽教育に熱心なパパ兼音楽の先生でもあったようです。
今と違って、自分の功績を発表する場が少ないし、印刷技術は手書きのみ!
次々と生み出される傑作たちですが、それらの出番は一回か二回演奏するとお役御免。
作品の芸術性を評価され、コンサートなどで再演されるということはありませんでした。
バッハのことで今日一番お伝えしたいのはこの先です。
バッハの魅力は、建築物の美しさに例えられます。
そのことと関係あることで、音大時代に習って、衝撃を受けたことがあります。
バッハの時代に至る以前の、中世からルネサンス期を通して徐々に作曲法が発展してゆきました。
私が驚いたのは、「音楽は真剣な学問であった」という話です。
人類は長い歴史の中で、世界のしくみを探ってきました。
世界は一体どうなっているんだ?という広大な哲学の中に音楽は位置していました。
音楽という学問の一番の基礎は↓これだったそうです。
①宇宙はなんでこんなにうまい具合に運行しているんだ?どうなってる!!!?
つまり天体の調和について考えることでした。
これって今では科学とか哲学とか天文学ですよね。
そして、次。
②なんで人体はこんなにうまい具合に機能しているんだ?いったいどうなってる!!!!?
つまり人体の調和について考えることです。医学分野ですね。
二番目に大切なのが、これでした。
そして、次。
③天体や人体の調和を音として表す方法はないのか?
やっと音楽の領域に入ってきました。
作曲のしくみを整理して、記号や記譜法を作ろう!
という感じですね。
④そんじゃ、音、実際に鳴らしてみよっか。
やっと演奏。4番目です!
演奏は最下位の、おまけみたいな印象です。
音楽の発端は、天体の調和への感動を表現したいという想いであったこと。
これを知って私は衝撃を受けました。これがバッハに引き継がれています。
バッハの頭の中はかなり理系だと思います。
この世が絶妙なバランスで存在している!という奇跡。
これが、彼の感動の中心になっていると思います。
なので、個人的な情熱とか、恋愛感情とか、悲しみとか喜びとか、そういうダイレクトな感情表現ではない。
このことは、バッハを含めたバロック音楽の解釈のポイントになると思います。
(バロックの後に続く、古典派、ロマン派では、状況が変わってきます)
バッハを弾いていると、喜びの表現でも、悲しみの表現でも個人的なものから一歩離れて、
世界全体のものという感じ方ができるような気がします。
このあたりが、今の私のコンディションに合致しているのかもしれません。
今日は恐縮ながら、大バッハさんのことを書いてしまいました。
大バッハさんとはいえ、きっと生きているときには普通のおっちゃんだったと信じます。
またこのブログへ来てくださったら嬉しいです。
お読みくださり、ありがとうございました!
立川市 ピアノ教室ソラージュ
今日のお話は、1675年生まれ、1750年没の音楽家、ヨハン・セバスチャン・バッハのお話をしたいと思います。
私は最近とてもバッハに惹かれていて、彼の作品を一生弾いていさえすれば、他に欲しいものは何もないんじゃないかと思うくらいです。
バッハは一生涯中北部ドイツにて活動し、ドイツの外へ出ることはありませんでした。
バッハ家は代々音楽家を生業とする家系で、その歴代の音楽家の中でもヨハン・セバスチャンは超ヘビー級の天才でした。
彼の仕事は、キリスト教の教会で行われるミサ(儀式)で使用する音楽の作曲と演奏の指揮を司ることに始まり、転職後は、宮廷貴族のおかかえ音楽家として活躍し、その後再び教会の音楽総指揮官として活躍しました。
つまり当時の社会に応じた「音楽プロデューサー」です。
家庭では、彼は子だくさんです。奥さんは一人目の方を亡くされた後に二人目の方を迎えたので、二人。
子供たちの音楽教育に熱心なパパ兼音楽の先生でもあったようです。
今と違って、自分の功績を発表する場が少ないし、印刷技術は手書きのみ!
次々と生み出される傑作たちですが、それらの出番は一回か二回演奏するとお役御免。
作品の芸術性を評価され、コンサートなどで再演されるということはありませんでした。
バッハのことで今日一番お伝えしたいのはこの先です。
バッハの魅力は、建築物の美しさに例えられます。
そのことと関係あることで、音大時代に習って、衝撃を受けたことがあります。
バッハの時代に至る以前の、中世からルネサンス期を通して徐々に作曲法が発展してゆきました。
私が驚いたのは、「音楽は真剣な学問であった」という話です。
人類は長い歴史の中で、世界のしくみを探ってきました。
世界は一体どうなっているんだ?という広大な哲学の中に音楽は位置していました。
音楽という学問の一番の基礎は↓これだったそうです。
①宇宙はなんでこんなにうまい具合に運行しているんだ?どうなってる!!!?
つまり天体の調和について考えることでした。
これって今では科学とか哲学とか天文学ですよね。
そして、次。
②なんで人体はこんなにうまい具合に機能しているんだ?いったいどうなってる!!!!?
つまり人体の調和について考えることです。医学分野ですね。
二番目に大切なのが、これでした。
そして、次。
③天体や人体の調和を音として表す方法はないのか?
やっと音楽の領域に入ってきました。
作曲のしくみを整理して、記号や記譜法を作ろう!
という感じですね。
④そんじゃ、音、実際に鳴らしてみよっか。
やっと演奏。4番目です!
演奏は最下位の、おまけみたいな印象です。
音楽の発端は、天体の調和への感動を表現したいという想いであったこと。
これを知って私は衝撃を受けました。これがバッハに引き継がれています。
バッハの頭の中はかなり理系だと思います。
この世が絶妙なバランスで存在している!という奇跡。
これが、彼の感動の中心になっていると思います。
なので、個人的な情熱とか、恋愛感情とか、悲しみとか喜びとか、そういうダイレクトな感情表現ではない。
このことは、バッハを含めたバロック音楽の解釈のポイントになると思います。
(バロックの後に続く、古典派、ロマン派では、状況が変わってきます)
バッハを弾いていると、喜びの表現でも、悲しみの表現でも個人的なものから一歩離れて、
世界全体のものという感じ方ができるような気がします。
このあたりが、今の私のコンディションに合致しているのかもしれません。
今日は恐縮ながら、大バッハさんのことを書いてしまいました。
大バッハさんとはいえ、きっと生きているときには普通のおっちゃんだったと信じます。
またこのブログへ来てくださったら嬉しいです。
お読みくださり、ありがとうございました!
立川市 ピアノ教室ソラージュ
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