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ヘンデル、イギリスへの道

皆さん、こんにちは。昨日は、ヘンデルがイギリスの貴族から作曲を依頼されたことについてお話ししました。

彼がロンドンで上演したオペラ『リナルド』は現地で大いに話題となりました。この成功は、彼のイギリスの定住を決意させる切っ掛けとなりました。実は、ヘンデルは『リナルド』をわずか2週間で書き上げたそうです。これは驚くべきことですね。

以降、作曲家・音楽監督として活躍したヘンデルは、1724年にイギリスに帰化し、ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデルからジョージ・フレデリック・ハンデルへと改名しました。

やがて、時代の流れと共に、オペラの人気が衰えていくことになるのですが、ヘンデルはこの状況を素早く察知し、1730年代に入るとオラトリオの創作へと転向することを選びました。

更には、1739年に「オラトリオ・シーズン」なるものを開催し、『サウル』『エジプトのイスラエル人』、『聖セシリアの日のための頌歌(しょうか)』といった作品を次々と発表しました。

また、1742年にはヘンデルの代表作『メサイア』を作曲し、これによりヘンデルの作曲家としての地位は揺るぎないものとなりました。

彼はその後もイギリスで音楽家として活動を続けましたが、1759年4月14日、74歳でこの世を去りました。実は、彼は生前から、「ひっそりと埋葬されることを望む」と周りに言っていたのですが、実際には3000人もの人々が葬儀に訪れ、彼の死を悼んだと伝えられています。

次のヘンデルに関するブログ記事では、ヘンデルにまつわる興味深いエピソードについてお話します。お楽しみに!レッスンにご興味がある方は、「ウィステリア・ピアノクラス」で検索して、ホームページからお気軽にお問い合わせください。


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