うぐいす

今年は十数年ぶりに近所でうぐいすの声を聞くことができた。近所とはお隣城南小学校の庭のことだ。教室を建てるときに自分で維持管理ができないと思って、春にはうぐいすがやって来てはきれいな声を聞かせてくれたり、ヒヨドリやキジバトが巣を作って子育てをするような庭をつぶしてしまったのでずっと負い目に感じていたが、なんとなく救われたような気がしたひと時だった。自分に鳥の声や虫の声を愛でる感覚もまだ残っていたかと思ってほっとした。

つぶしてしまった庭は、別に造園師が作り上げた庭でもなかったが、祖父母が何十年もかけて土を改良し、好きな草木を1つ1つ増やして作り上げた、春早くから秋遅くまで花の絶えない庭であった。庭の垣根も叔父が学生のときに祖父と一緒に植えてせっせと水やりをして育てた垣根だったと言う。せめて、サルスベリ1本くらい残してくれなど、いろいろ言われたが、無情にも1本残らず根こそぎ撤去してしまった。そのおかげで枯れ葉がご近所を舞う心配はしなくてよくなったが、本当に親戚にも草花にもかわいそうなことをしたと思う。

昔は、草花や生き物たちは、子供の情操教育に不可欠と言われたものだ。春夏秋冬草木を愛で、虫や鳥を愛で、それが心を育てる。きっとピアノを奏でるときだって大きな影響があるに違いないと思っていた。

さて、昨今、子供たちは自然とたわむれることのできる道草をすることがあるのだろうかと心配になる。道草という言葉自体子供たちが知っているのかどうかも不安になる。大体にして、そんなことをしていたら怖い人に遭遇しそうで、親は歩いて10分の所を車で送迎する。過保護だなんて言っていられない。

ピアノ人口は飛躍的に増え、それに伴いピラミッドの頂点は世界大会で賞に入るほどになった。日常生活のもろもろを全て犠牲にして目が覚めている時間は全てピアノにそそぐような極端な人が増えた結果でもあろう。

身の回りのことが全くできないのにピアノだけ上手なタイプの子供や、勉強だけできれば許されるタイプの子供を見ると、私はこういう人間を育てたくてピアノや英語を教えていたのだろうか?と疑問にかられる。親に感謝の気持ちもへったくれもなく自分のやりたいことを主張してばかりいるのもどうなのかなあと感じる。どうか小鳥のさえずりや道端の草花に感動し、感謝の気持ちを持てる人間になってほしいものだと、うぐいすの声を聞きながら思った。

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