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ベートーヴェンクイズの答えです。

先週、ブログに書いたベート―ヴェンクイズの答えです。

1.今年は、2020年です。ベートーヴェンは250年前に生まれました。
  さて、何年生まれでしょう?

1770年生まれです。(1827年3月/56才で生涯を閉じる。)
12月16日頃(ごろって、なんやねん?!と思いますよね・・・
でも、教会で洗礼を受けたのが17日という事しかわかっていなので、
16日頃という事のようです。)

むしろ、赤ちゃんを産んで、次の日の教会に行けることの方が凄い・・・けど・・・


2.次のイラストの中のベートーヴェンは、何番でしょう?
(ここでは、なぜか画像がうまく入らず、イラストが載せられないので、
見たい人は、アメブロで「京都C-ムジカ教室」を探してください)

左から、モーツァルト、ベートーヴェン、ベートーヴェン、バッハです。

左から2番目の絵は、あまり見た事が無い絵ですが、
フェルディナンド・シモンによる49歳ごろのベートーヴェンの絵です。

モーツァルトまでは、カツラをかぶっているのが、時代を象徴しますね。


3.ベートーヴェンは、どこの国で生まれたでしょう?
  ①イギリス  ②オーストリア  ③ドイツ

③ドイツのボンという町で生まれました。
ドイツ生まれの3大B(で始まる作曲家)のひとり。
バッハ、ベートーヴェン、ブラームス


4.ベートヴェンは、モーツァルトと同じように6才の時にケルンで演奏会を
開いた、というのは、うそ?本当?

うそ、です。

ベートーヴェンのお父さんが、7才だったベートーヴェンを6才と偽って出したのです。
(8才という説もある。多分誕生日が、12月という事からではないかと推測する)



5.ベートーヴェンは、体のどこが具合が悪くなったでしょう?
  ①目   ②耳   ③手

②の耳
20代の後半ごろから耳が聞こえなくなってきて、28歳ごろには、かなり厳しい
状況だった。


6.ベートーヴェンは、体の具合が悪くなってきたので、遺書を書いています。
それは、何歳の時だったでしょう?
  ①31才   ②44才  ③55才

①31才・・・「ハイリゲンシュタットの遺書」として、ベート―ヴェンの死後
見つかったもの。
ウィーン郊外のハイリゲンシュタットを訪れた時には、自殺を考えるほど
絶望に襲われていた。

耳が聞こえないことを誰にも言う事の出来ないつらさ、
芸術家として、そのような死から自分を引き止めたのはただ芸術である。
自分が果たすべきだと感じている総てのことを成し遂げないうちに
この世を去ってゆくことはできないのだ。

という様なことを、弟に宛てて書いている。

②44才は、弟のカールが亡くなった年
③55才は、ベートーヴェンの亡くなる前の年



7.ベートーヴェンの作った交響曲は、何曲でしょう?
  ①9曲    ②41曲   ③104曲

①9曲

②41曲は、モーツァルトが作った数
③104曲は、ハイドンが作った数(さすが、交響曲の父と言われるだけある・・・)


8.交響曲第5番「運命」で、新しく使った楽器が3つあります。
  ピッコロ、トロンボーン、コントラファゴットである、これは、うそ?本当?

本当(高い音のものと、低い音のものを加えた。第4楽章に入っています
ただ、ピッコロは、フルートと同じ音域を使っていたので、
実際には、よく聞こえません)


9.「喜びの歌」として知られている交響曲第9番。
交響曲に、初めて合唱を入れたのは、ベートーヴェンである、これは、うそ?本当?

本当(この初演の時には、完全に耳が聞こえなかった状態…指揮者がもう一人いた。
終演後、大歓声に気づかなくて、アルトソロの歌手が、ベートーヴェンを観客の方に
振り向かせて大成功が分かった、というエピソードが残っている)


10.ピアノ曲「エリーゼのために」は、エリーゼさんに作った曲である。
これは、うそ?本当?

うそ。(諸説あるが、テレーゼ・マルファッティという人が楽譜を持っていたことから、
彼女に夢中になっていた時期と合う、とか
テレーゼへ、と書いたとみられるが、字が汚かったため、と言われている。
やはり、字は、丁寧に書くものですね~)


答えでした。


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