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理想のレッスン①

 理想のレッスンという文章を書いている時に、ちょうど“カワイあんさんぶる”11月号に掲載されていた音楽学者若尾裕氏の「音楽のレッスン」という文章が目にとまった。レッスンをする側からも、受ける側からも意味深い文章だ。  


 “高度な技術を習得するには、映像や録音からではなく近接した現前性による学びが不可欠である。”とある。他者の感覚の細密さを学ぶには、《生身の人間》から、その技術を間近に体感することが重要だということだ。氏が言うように、それはときとして《師のオーラ》と表現される。確かに素晴らしい指導者のレッスンでは、指導者の周りから醸し出される何かがいつもは気付かなかった音楽に耳を開いてくれたり、魔法にかかったように弾けてしまったりした経験が私自身にもあるので、この論には大いに興味をひかれる。若尾氏の文章はここから師の厳しい指導に暴力性が容認されてきた事への問題提起へと流れていく。  


 音楽が言葉以外の領域、特に無意識の部分をたくさん伝える性格を持つ以上、ある程度以上の高いレヴェルの技術、伝達力を学ぶにはそれを感じ取るしかない部分が多い。近接した現前性による学びが不可欠という理由はここにある。結局学ぶべき大事な部分は師が言葉で言わない部分に多く含まれるという事実ゆえにその伝達はスムーズでない。弟子のレヴェルがあまりにも低いと見えないものをキャッチするには力不足となる。  

 レッスンとは直接関係はないが、その昔アシスタント指揮者でリハーサルしていたベルリンフィルの練習場にフルトヴェングラーが扉を開けて一歩入った途端にオケの音が激変したという話がある。音楽自体が不思議な側面を持つ以上その伝達にも理屈を超えた何かがあることを証明している。

 同じく指揮者のバーンスタインは、自分に指揮は教えられないという。「薬指をここに置いて、手首を柔らかくして、ひじを内側に保ってなどと言えない。スコアを読んで、自分が作曲家であるかのようにその作品に生命を宿すことだけ。」と、言った。彼が指揮するコンサートがうまくいったあと「どうして僕があの箇所でそうしたいって分かったの?」と団員に尋ねると「我々にもわかりませんよ。我々はあなたの左の眉毛を見つめていただけです。」と答えたという。指揮者と演奏者は見えないものを感じあっているのだ。

 また、指揮者の広上淳一氏はバーンスタインのアシスタント時代を「リハーサルで、オーケストラはあっという間に彼のペースとなり、バーンスタイン先生にマーラーが溶け込でいるようでした。20世紀最後の巨匠の片鱗(へんりん)に触れられたのは幸運でした。短かったけど、精一杯、先生のそばにいられてよかった。20代でそういうことが体験できたのはすごくラッキーでした。」と語っている。“近接した現前性による学び”を体験した広上氏は巨匠の精度の高い音楽性に触れ、もちろんその後もご自身研鑽を積み、指揮者として今も活躍しておられる。


理想のレッスン②
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