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続・続々・練習嫌いはなぜ?

褒めることは必要だけれども褒めてはいけないことまで褒める『間違った褒め』。
褒めなければピアノが嫌いになってしまうと間違った考えを持ってしまう親御さんたち…こういうお母様たちはピアノだけに限らずあらゆることをこれで解決しようとしてますね。テストで良い点を取ったら〇〇を買ってあげる的考えと私は同じだと思いますので。
ならばどうしたら?

私は常々お母様方に言っている事があります。

ピアノは褒められるから楽しいのではありません。練習は褒められるからするのでありません。
確かに褒めてもらうのは嬉しいです。しかしそれだけだと褒められなくなったら何もしなくなります。物事が長続きしないのは、褒められなければやらないという子供になってしまうからです(実はこういう子供がとても増えています)。
しかしどんなことでも褒められることだけではないはず。要は褒めるところは褒め、そうではない時は諭す…これが大事なのではと感じます。

褒めて諭す…これがとても大切と思います。

私はレッスンで良くないことをした場合にはとことん話をします。小さければ小さいほど怒らず話をします。
小さい子供に理屈なんて無理と思えるかもしれません。しかしこの小さい時期にしっかりと話をし話を聞くということを教えてあげないと、ある程度の年齢になっても人の話を聞くことが出来なくなります。そして『諭し』は気が付かないうちに子供の中にしっかりと根付いていきます。

ではなぜ『諭し』は子供に根付くのか。それは諭す側が怒らないからです。
人は一度怒り出すと感情を抑えることが難しくなります。感情の攻撃は子供を委縮させるか逃避の方向に向かわせるかいずれになります。このどちらも子供にとっては良いわけはなく、重なれば『練習の時お母さんは怒る』となり練習嫌いになります。
しかし諭している時は感情的にはほとんどなりません。なぜなら感情的になっては諭せないから。つまり『諭す』という行為は冷静で論理的に考えて話さなければならないことが多いのです。結果感情的にならず一緒に考えるということが出来るから子供も聞くようになり、結果根付いていくわけです。

褒めるときは褒め、褒められない状態にある時・行動をした時には、なぜ褒められないかを諭す。そして諭しても聞く耳を持たない、あるいは何度でも同じことを繰り返す場合は、心の底から真意を以て怒る。これが『間違った褒め』による練習嫌いにならないことなのではないかと私は思います。


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