日本全国のピアノ教室が5000件以上掲載!

大島久子先生を偲んで・・偉大なるお恩師故大島正泰先生とともに・

南大沢しおたにピアノ教室 Shoko ra 塩谷尚子です



☘️ ☘️ ☘️ ☘️ ☘️ ☘️ ☘️





昨日、大島久子先生のお別れに行ってきました



今は亡き恩師、大島正泰先生の最愛の奥様





朝一のレッスンに伺うと、決まってお掃除をされていて



広い広いお宅がいつもピッカピカでした





優しい物腰で暖かい笑顔の奥様に



これからのレッスンに緊張している自分は



なかなかおしゃべりできる余裕もなくて(^^;)





久子先生はいつも明るいお声でいらっしゃって



私自身の音教時代の「幼稚科教育」を改革推進された中心に



いらっしゃったと思います





これからの音楽家、日本の音楽界を背負っていくものたちに



何を伝えられるか



桐朋の先生方は常に常にそのことを追求し



日本の音楽界に足らないものを補う努力をして来られました







公開されている



桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室 20周年記念誌に

久子先生のお名前があります

検索してみてください





私が音教に入る時の面接官には小林福子先生がいらっしゃったそうです



「おうたは好き?」



と聞かれて



「うん」



と答えたそうで?



おそらく、首を振っただけかな(^^;)



それでめでたく音教へ入室



久子先生も同席されていたかもしれないな、と思っています







音教の幼稚科から大学までをずっと通して仙川で過ごした仲間は



実は多くありません



あの時代の音教はそれそれは厳しくて



幼稚科卒業時に篩い落とされ



小学校でも2回篩い落とされ



中学校でも篩い落とされ



高校入試で篩い落とされ



そこへ新しく受験した仲間が入ってくる、というような





私、よく生き残ってたなあ。。。



呑気な性格のなせる技かも







大学のソルフェージュ教育法の授業で



久子先生の授業がありました



音教の独自のリズム課題を



習う側から指導側へ目線を変えた視点での授業で



新鮮な気持ちで取り組んだことを覚えています





今は私がその立場にいるのだと思い



責任の重さを感じます







正泰先生は私にとっては《雲の上の紳士》です



仙人か、というくらい崇めちゃってましたから



よく1階のトイレ前で遭遇するのにも関わらず



トイレとか食事とかお風呂とか



そういう日常から遠いところに存在されているように感じていて



”ピカ〜〜”と眩しく恐れ多い存在でした







そんなある日のこと



生徒たちの集まりの時に久子先生が



正泰先生が「コロッケを作る」というお話をされたと思うのですが



”えつ。。。なんですとっ!!!!”



衝撃を受けたことったら



もうほんとその後の内容より



先生がコロッケ・・・先生がコロッケ・・・







今頃は



優しくて朗らかな笑い声と暖かい笑顔で



暖かな光のもと



きっと正泰先生と色々積もる話をされているに違いない



正泰先生の優しいお顔が、ふと浮かんだので



きっと。。。。。





お二人が安らかな世界でのびのびと音楽を楽しんでおられるよう



お祈り申し上げます・・・







☘️ ☘️ ☘️ ☘️ ☘️ ☘️ ☘️


↓お問い合わせは、こちらからどうぞ!↓

↓お問い合わせ・体験のお申し込みはこちらから!↓

この教室へお問い合わせ

↑体験レッスンお申し込みも、こちらからどうぞ!↑

このブログへのコメント