今日は大好きなショパンの誕生日
1810年 3月1日
フレデリック・フランソワ・ショパンが
ポーランドのワルシャワ郊外
ジェラゾヴァ・ヴォラで生まれました。
私はショパンの曲が大好きです♡
特にゆったりとした曲は
いつ聴いても癒されます。
私は大学時代
ポーランドで最も伝統がある
ショパンも学んだ
ポーランド国立ショパン音楽大学の
夏期セミナーに参加しました。
今日はその時に撮った写真と共に
ショパンを紹介したいと思います
※写真はホームページ→ブログから見ていただけます♪
ショパンが生まれた家は1枚目の写真。
残念ながら
当時の建物は消失しまいましたが
家具や内装は復元され展示、公開されています。
夏季には毎週日曜日
ショパンの曲が演奏されています♪
私が訪れた日は
1980年ショパンコンクール2位の
Ms. TATIANA SZEBANOWAの
ショパン名曲演奏でした
その時
彼女が演奏していた
『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ』に
とても感動し
大学の卒業演奏の1曲に選びました
今でも忘れられない
今までで1番感動した素敵な演奏でした(*´▽`*)
2枚目の写真は
ワルシャワ大学の中にある
ショパンが7歳から10年間住んでいたところです。
7歳ですでに
ピアノ演奏を披露していたショパンは
きっとここでもたくさん
ピアノを弾いていたのでしょうね♪
ちなみに
私が訪れた時
ショパンが住んでいた部屋は
日本語学科の教室として使われていました。
3枚目の写真は
ヴィジトキ教会内のパイプオルガン。
ショパンが学生時代
日曜日のミサで
毎週演奏していたことで有名です
外観もとても美しいこの教会で
ショパンはどんな曲を
演奏していたのでしょうね。
ショパンは16歳で
ワルシャワ音楽院(今のショパン音楽大学)に入学し学校
3年後に首席で卒業しました。
ショパンが通っていたこの学校に私も通いました(smile)
夏期セミナー中の3週間ほどほぼ毎日♪
ピアノをご指導いただいたのは
世界3大ピアノコンクールの1つ
ショパンコンクールの審査員もされていた
カジミエシュ・ギェルジョード教授。
3拍子のリズムの取り方が
「1 2 3 1 2 3 ・・・」
ではなく
「アムステルダム アムステルダム ・・・」
だったことが特に印象的でした
私はポーランド語を
挨拶程度しか喋れなかったので
通訳さんにはお世話になりました
ショパンは病気のため
39歳の若さで亡くなります。
遺体はパリで埋葬されましたが
心臓だけは
故郷ワルシャワの聖十字架協会の
この柱の中で今も静かに眠っています。
祖国をこよなく愛していたショパン。
しかし
戦争などの状況下
祖国への帰国が叶わなかった為
「せめて心臓だけでも」
というショパンの願いでした。
たくさんのピアノ曲を残したショパン
日本では『ピアノの詩人』と呼ばれるように
ピアノで情緒的、情景的な詩を書き続けました。
その美しく心地よいメロディーは
今でもたくさんの人に愛されています♡
♢ ♢ ♢
水谷紘子ピアノ教室では、只今、生徒募集中です!
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あなたもピアノを始めてみませんか(*^-^*)
フレデリック・フランソワ・ショパンが
ポーランドのワルシャワ郊外
ジェラゾヴァ・ヴォラで生まれました。
私はショパンの曲が大好きです♡
特にゆったりとした曲は
いつ聴いても癒されます。
私は大学時代
ポーランドで最も伝統がある
ショパンも学んだ
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残念ながら
当時の建物は消失しまいましたが
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私が訪れた日は
1980年ショパンコンクール2位の
Ms. TATIANA SZEBANOWAの
ショパン名曲演奏でした
その時
彼女が演奏していた
『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ』に
とても感動し
大学の卒業演奏の1曲に選びました
今でも忘れられない
今までで1番感動した素敵な演奏でした(*´▽`*)
2枚目の写真は
ワルシャワ大学の中にある
ショパンが7歳から10年間住んでいたところです。
7歳ですでに
ピアノ演奏を披露していたショパンは
きっとここでもたくさん
ピアノを弾いていたのでしょうね♪
ちなみに
私が訪れた時
ショパンが住んでいた部屋は
日本語学科の教室として使われていました。
3枚目の写真は
ヴィジトキ教会内のパイプオルガン。
ショパンが学生時代
日曜日のミサで
毎週演奏していたことで有名です
外観もとても美しいこの教会で
ショパンはどんな曲を
演奏していたのでしょうね。
ショパンは16歳で
ワルシャワ音楽院(今のショパン音楽大学)に入学し学校
3年後に首席で卒業しました。
ショパンが通っていたこの学校に私も通いました(smile)
夏期セミナー中の3週間ほどほぼ毎日♪
ピアノをご指導いただいたのは
世界3大ピアノコンクールの1つ
ショパンコンクールの審査員もされていた
カジミエシュ・ギェルジョード教授。
3拍子のリズムの取り方が
「1 2 3 1 2 3 ・・・」
ではなく
「アムステルダム アムステルダム ・・・」
だったことが特に印象的でした
私はポーランド語を
挨拶程度しか喋れなかったので
通訳さんにはお世話になりました
ショパンは病気のため
39歳の若さで亡くなります。
遺体はパリで埋葬されましたが
心臓だけは
故郷ワルシャワの聖十字架協会の
この柱の中で今も静かに眠っています。
祖国をこよなく愛していたショパン。
しかし
戦争などの状況下
祖国への帰国が叶わなかった為
「せめて心臓だけでも」
というショパンの願いでした。
たくさんのピアノ曲を残したショパン
日本では『ピアノの詩人』と呼ばれるように
ピアノで情緒的、情景的な詩を書き続けました。
その美しく心地よいメロディーは
今でもたくさんの人に愛されています♡
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