【紫明先生のエッセイシリーズ】スズキ・メソードと共に(1991年)篠原緑先生 3
長女が3歳の誕生月から、憧れていたピアノのレッスンを受けることになりました。私自身、時間にゆとりがあれば今からでもピアノのレッスンを受けたい…この気持ちを娘に託しているのです。
レッスンしている曲を繰り返し繰り返し聴き、練習しています。
年齢が低い時ほど、学校などで拘束される時間が少なく、レッスンに充分時間をあてることができ、吸い取り紙が水を吸収するように吸収してくれました。しかし、年齢が高くなるにしたがって、学校やその他のことで時間がとられ、なかなか思うようにレッスンに時間をかけられなくなってきています。その上「スランプ」があります。これは「子は親の鏡」という言葉どおり、私が仕事で忙しくなると必ずと言っていい程あるのです。私の方の気持ちにゆとりがなくなり、頭の中では「急がず、怒らず」とよく分かっているのですが、人間というのは弱いものです。
こんな時、夫がブレーキの役目をしてくれます。私のカリカリした気分を落ちつかせ、長女をなぐさめ、励ましてくれます。<続く>
レッスンしている曲を繰り返し繰り返し聴き、練習しています。
年齢が低い時ほど、学校などで拘束される時間が少なく、レッスンに充分時間をあてることができ、吸い取り紙が水を吸収するように吸収してくれました。しかし、年齢が高くなるにしたがって、学校やその他のことで時間がとられ、なかなか思うようにレッスンに時間をかけられなくなってきています。その上「スランプ」があります。これは「子は親の鏡」という言葉どおり、私が仕事で忙しくなると必ずと言っていい程あるのです。私の方の気持ちにゆとりがなくなり、頭の中では「急がず、怒らず」とよく分かっているのですが、人間というのは弱いものです。
こんな時、夫がブレーキの役目をしてくれます。私のカリカリした気分を落ちつかせ、長女をなぐさめ、励ましてくれます。<続く>