【紫明先生のエッセイシリーズ】スズキ・メソードと共に(1991年)篠原緑先生 1
今日よりお届けするのは、才能教育研究会のピアノ研究クラスで川崎紫明先生のグループで学ばれた篠原緑先生によるエッセイです。どうぞゆっくりとご覧ください。
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スズキ・メソードとの出会い
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私の娘・歩がスズキ・メソードと出会ったのは、二歳をすぎたところです。
それまでは、お恥ずかしいことに、あまり知りませんでした。
私自身が子供の頃に使ったバイオリンとバイオリンの教則本が「鈴木」であったというぐらいです。
近所の人に「スズキ・メソード」の教室の話をすると
本も出版されている有名な指導法だと教えてくれました。
私は学生時代、オーケストラのクラブに入っていましたので
我が子には是非ピアノを、そして一緒に合奏できたらと思っていました。
そこで、すぐ近所の人と一緒に、大阪府富田林市にある川崎紫明先生の教室に通い始めました。
教育関係に携わっています私は、「どの子も育つ」という鈴木先生のお考えに同感でした。
そして知れば知るほど、ひかれていきました。
しかし仕事をもっている私が、ずっと続けてこられたのは
二女の誕生で休暇がとれて、このチャンスを生かせたこと。
また、近所のお友達である越後さんが、ご自分のお子さんと一緒にうちの子もグループレッスンに連れていってくれたからです。
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スズキ・メソードとの出会い
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私の娘・歩がスズキ・メソードと出会ったのは、二歳をすぎたところです。
それまでは、お恥ずかしいことに、あまり知りませんでした。
私自身が子供の頃に使ったバイオリンとバイオリンの教則本が「鈴木」であったというぐらいです。
近所の人に「スズキ・メソード」の教室の話をすると
本も出版されている有名な指導法だと教えてくれました。
私は学生時代、オーケストラのクラブに入っていましたので
我が子には是非ピアノを、そして一緒に合奏できたらと思っていました。
そこで、すぐ近所の人と一緒に、大阪府富田林市にある川崎紫明先生の教室に通い始めました。
教育関係に携わっています私は、「どの子も育つ」という鈴木先生のお考えに同感でした。
そして知れば知るほど、ひかれていきました。
しかし仕事をもっている私が、ずっと続けてこられたのは
二女の誕生で休暇がとれて、このチャンスを生かせたこと。
また、近所のお友達である越後さんが、ご自分のお子さんと一緒にうちの子もグループレッスンに連れていってくれたからです。