【紫明先生のエッセイシリーズ】夢のような日々(1992年)3
ベルリン・フィルのコンサートなど毎週家族で通いました。
街角の貧しい玉子売りのおばあさんが、前の席で美しいボンネットの帽子をかぶって座っておられるなど……
とても身近かで、勿論チケットもとても安いものでした。
演奏する方も聴衆も、心から音楽を愛している様子がホール一杯に感じられ、暖かい雰囲気に包まれるようでした。
ある時、フィッシャー・ディースカウのリサイタルで、シューベルトの「冬の旅」を聞いている時でした。
隣の席の男の方が、感動してむせび泣いておられるのです。
びっくりしました。
すばらしい音楽を聴くことの出来る耳、また受け入れられる魂に触れ、自分の貧弱さに気づかされた思いでした。
ひびきわたる「冬の旅」を聴きながら、もっともっと深く音楽の道を究めたい
――その夜は芸術への開眼でした。<続く>
街角の貧しい玉子売りのおばあさんが、前の席で美しいボンネットの帽子をかぶって座っておられるなど……
とても身近かで、勿論チケットもとても安いものでした。
演奏する方も聴衆も、心から音楽を愛している様子がホール一杯に感じられ、暖かい雰囲気に包まれるようでした。
ある時、フィッシャー・ディースカウのリサイタルで、シューベルトの「冬の旅」を聞いている時でした。
隣の席の男の方が、感動してむせび泣いておられるのです。
びっくりしました。
すばらしい音楽を聴くことの出来る耳、また受け入れられる魂に触れ、自分の貧弱さに気づかされた思いでした。
ひびきわたる「冬の旅」を聴きながら、もっともっと深く音楽の道を究めたい
――その夜は芸術への開眼でした。<続く>