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イギリスに行ったヘンデル

皆さん、こんにちは。昨日は、ドイツに戻ったヘンデルがすぐにイギリスに発ったというところまでお話ししました。今日は、その経緯を少し詳しく見ていき、彼がイギリスでどういう活動を行ったかについてお話したいと思います。

1710年、ヘンデルは、イタリア音楽家アゴスティーノ・ステッファニの推薦によって、ハノーファーの宮廷楽長に就任しました。ハノーファーは16世紀以来音楽が盛んな町で、16世紀はルター派の教会音楽が中心になっていましたが、1636年にカーレンベルク公国の宮廷が置かれてから、宮廷に活動の中心が移っていきました。

この頃のドイツは、フランス風の音楽が支配的になったり、イタリア風の音楽が支配的になったりと流動的でした。しかし、1670年ごろからイタリア音楽が主流になり、オペラ劇場も建てられていきました。1688年から1695年まで宮廷楽長を勤めていたのが、前述のステッファニでしたから、イタリアで成功したヘンデルが推薦状を得たと推測されます。

しかし、昨日も書いたように彼は就任後直ぐに休暇を取り、母親のいるハレの町を訪ねた後、デュッセルドルフ、オランダを回ってロンドンへ向かいます。当時、イギリスではすでにイタリアオペラの上演が盛んに行われており、ヘンデルも貴族の依頼を受けて1711年にロンドンで最初のオペラ『リナルド』を上演し、予想以上の成功を収めました。

この年の6月、一旦ハノーファーに戻りますが、その地ではほとんど足跡を残さないまま、1712年秋、再びロンドンに渡り、そのまま生涯を過ごすことになるのです。

明日は、イギリスに帰化したヘンデルについてお話ししますね。今日も良い一日をお過ごしください。

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