雨です。
仙台は、雨。
夕べから重苦しくて、頭痛も酷かったのですが、低気圧が来ていたのですね。
天気予報もみていなかったので、朝陽が入ってこない部屋で、「あー、降ってる」と気がつきました。
お庭に水撒きしなくていいかなぁと思いましたが、ザーザー降りでもないので、悩むところです。
さて、今日は 午前中は 秋田から来てくれている高校生のレッスン。
2時間ですが、あっという間。
楽譜を細かく読む、詳しく組み立てる、表現の仕方を色々と引き比べてみる…
こんな作業をしていると、本当に時間を忘れてしまいます。
午後からは振り替えレッスンですが、それぞれ 発表会に向けて仕上げの段階に入りました。
これから春休みですが、遊びや旅行なども楽しみつつ、ピアノの練習も ぜひとも頑張って欲しいです。
当日が、楽しみ。
お墓参りは…行けません。
ただ、歌にもあるように「故人は お墓には いない」と思うので、日頃から 手を合わせるようにしています。
私を気にかけてくれていた、祖父母たち、叔父たち。
時々、ふと近くに感じます(オカルトではありませんよー)
困ったとき、悩んでいるとき、解決策が頭にぽーんと思い付くのです、なんの脈絡もなく。
それから、常に寄り添ってくれている感覚もあります。
にゃんずたちも特に騒がないので、受け入れているのかな。
母方の実家は、会津若松。
毎年、夏休みには 従兄弟たちが集まり、それはそれはにぎやかでした。
母は5人兄弟なので、従兄弟もたくさん。
採れたての野菜で作った料理が食卓に並び、日常とは違う集団生活。
築100年越えの、昔ながらの家です。梁がそのまま見え、囲炉裏もありました。
虫とりしたり、田んぼの手伝い、小さな従兄弟たちのお風呂やご飯のお世話。
合間に、ピアノの練習。
当時はオルガンしか置いていなかったので、祖父が近くにある小学校を借りてくれ、体育館で練習していました。
広々とした空間に、ひとり。気持ち良かったなぁ。
行き帰りの軽トラックでの祖父との会話も、今となっては遠い思い出。
そんな祖父ですが、私が小学校1年の時に、突然、事故に遭い、亡くなってしまいました。
早朝の電車に乗り、駆けつけたときには、家の一番奥の部屋に寝かされていて、立派な布団の横には、代々伝わる刀が置いてありました。
祖母は泣き崩れていました。
1年生で、初めて死を目の当たりにしましたが、ぼやんとしていて、今でも実感はありません。
祖父は、当時としては珍しく、バイオリンを弾きました。医学部を出て、校長先生をやっていたという、変わった経歴です。
身内の中で唯一、音楽をやっている私を とても可愛がってくれました。
今でも、ピアノを弾くときには 祖父が寄り添ってくれている気がします。
祖父の亡きあと、祖母が常に私の見方でした。
癌で亡くなる直前まで、私のことを気にかけていてくれたそうです。
留学が決まったと報告ができたときに、何度も頷いてくれました。
お彼岸。
おじいちゃん、ありがとう。
おばあちゃん、ありがとう。
今日も感謝をしつつ、レッスンに励んでいます。
夕べから重苦しくて、頭痛も酷かったのですが、低気圧が来ていたのですね。
天気予報もみていなかったので、朝陽が入ってこない部屋で、「あー、降ってる」と気がつきました。
お庭に水撒きしなくていいかなぁと思いましたが、ザーザー降りでもないので、悩むところです。
さて、今日は 午前中は 秋田から来てくれている高校生のレッスン。
2時間ですが、あっという間。
楽譜を細かく読む、詳しく組み立てる、表現の仕方を色々と引き比べてみる…
こんな作業をしていると、本当に時間を忘れてしまいます。
午後からは振り替えレッスンですが、それぞれ 発表会に向けて仕上げの段階に入りました。
これから春休みですが、遊びや旅行なども楽しみつつ、ピアノの練習も ぜひとも頑張って欲しいです。
当日が、楽しみ。
お墓参りは…行けません。
ただ、歌にもあるように「故人は お墓には いない」と思うので、日頃から 手を合わせるようにしています。
私を気にかけてくれていた、祖父母たち、叔父たち。
時々、ふと近くに感じます(オカルトではありませんよー)
困ったとき、悩んでいるとき、解決策が頭にぽーんと思い付くのです、なんの脈絡もなく。
それから、常に寄り添ってくれている感覚もあります。
にゃんずたちも特に騒がないので、受け入れているのかな。
母方の実家は、会津若松。
毎年、夏休みには 従兄弟たちが集まり、それはそれはにぎやかでした。
母は5人兄弟なので、従兄弟もたくさん。
採れたての野菜で作った料理が食卓に並び、日常とは違う集団生活。
築100年越えの、昔ながらの家です。梁がそのまま見え、囲炉裏もありました。
虫とりしたり、田んぼの手伝い、小さな従兄弟たちのお風呂やご飯のお世話。
合間に、ピアノの練習。
当時はオルガンしか置いていなかったので、祖父が近くにある小学校を借りてくれ、体育館で練習していました。
広々とした空間に、ひとり。気持ち良かったなぁ。
行き帰りの軽トラックでの祖父との会話も、今となっては遠い思い出。
そんな祖父ですが、私が小学校1年の時に、突然、事故に遭い、亡くなってしまいました。
早朝の電車に乗り、駆けつけたときには、家の一番奥の部屋に寝かされていて、立派な布団の横には、代々伝わる刀が置いてありました。
祖母は泣き崩れていました。
1年生で、初めて死を目の当たりにしましたが、ぼやんとしていて、今でも実感はありません。
祖父は、当時としては珍しく、バイオリンを弾きました。医学部を出て、校長先生をやっていたという、変わった経歴です。
身内の中で唯一、音楽をやっている私を とても可愛がってくれました。
今でも、ピアノを弾くときには 祖父が寄り添ってくれている気がします。
祖父の亡きあと、祖母が常に私の見方でした。
癌で亡くなる直前まで、私のことを気にかけていてくれたそうです。
留学が決まったと報告ができたときに、何度も頷いてくれました。
お彼岸。
おじいちゃん、ありがとう。
おばあちゃん、ありがとう。
今日も感謝をしつつ、レッスンに励んでいます。