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私のこと① 〜ピアノの先生になるまで〜

スウィートメロディーズピアノ教室の平林幹子です。

私のことを書こうと思います。

3歳から習っていたバレエをやめて、6歳の時にピアノを習い始めました。

バレエのおかげで音感が養われ、良い経験になったと思います。

とても優しいお姉さん先生に習って、ただただ楽しく弾いているだけでした。高校生になるまでに、父の転勤の関係で5人の先生に習いました。発表会は先生のお宅でのおさらい会形式が3回と、ホールで演奏したのは1度きりでした。人前に出ること自体、大の苦手な子供だったので、大きなホールで毎年演奏することなんてなかったので、私にはちょうど良かったと当時は思っていました。

そんな私でしたが、高校1年生の時は合唱コンクールで伴奏をしたいと思い、引き受けました。それが音楽の道に進みたいと思うようになった一つの理由です。

もう一つの理由は、その頃住んでいた団地の下に住んでいた人から苦情が出てピアノを弾けなくなってしまったことです。(ピアノ可だったのですが)

そこでピアノを弾けることのありがたみがわかって、自分がどれだけピアノが好きだったかようやく気づくことができたのです。将来はピアノの先生になりたいと思いました。その後また引っ越しをしてピアノが弾ける環境になりました。

一般的に考えると、高校生になってからピアノの先生を目指すのは遅い方だと思うので、これまで以上にピアノの練習を真剣に取り組まないといけなくなりました。また、ソルフェージュや楽典の勉強も並行して行いました。

おかげで、高校卒業後、昭和音楽芸術学院(現:昭和音楽大学)で2年間通うことになり、今の恩師に出会うことができました。

入学したばかりの頃は、肩、肘、手首、親指に力が入る癖がなかなか直らず、脱力を意識することを1から教わりました。これまで子供の頃から5人の先生に教わってきましたが、脱力のことは教わったことはありませんでした。力を抜く感覚を身体で覚えるのにとても苦労しました。直すのに半年以上かかった記憶があります。

少しずつ脱力のコツがつかめるにつれて、ピアノの音色が硬い音だったのが、柔らかい美しい響きに変わっていったのが自分でもよくわかり、とても嬉しくなりました。そして自由自在に音の強さの幅を広げたり、軽やかな音や重めの音など、指のタッチ感で表現できるようになるのを実感できました。

それを今の生徒さんにもぜひ実感してほしいと思っています。

初めてのピアノの実技試験では、ホールで演奏する形式だったのですが、発表会経験の少ない私はとても緊張して、頭の中が真っ白になりミスも連発したので、とても悔しい思いをしました。場数を踏む必要があること、自分が思っている以上にもっと練習する必要があることを学びました。

卒業前の実技試験は大好きなショパンのバラード第3番を演奏しました。この時は自分の中で一番納得のいく演奏ができ、とても嬉しかったのを覚えています。

そして、在学中に目標にしていた、指導者のためのヤマハピアノ演奏グレードと指導グレードを取得することができました。

そして、卒業後、実家でピアノ教室を開設し、近所の子供達にピアノを教え始めました。友人の紹介や口コミでなんとか生徒さんが集まってくれました。

続きはまた次回に


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