演奏する事を諦めない
先日行われた発表会で感動したこと。
押尾コータローの「てのひら」をアコースティックギター1本で演奏した生徒さんのTさん。
女性です。年齢は分かりませんがおそらく50代。
2年ほど前から当教室でアコースティックギターを習っています。
押尾コータローの大ファンと言うことで、直筆サインのTシャツを前回の発表会で着ていらっしゃいました。
今回の演目は「てのひら」という曲。
演奏する前に生徒さんが語りました。
「このギターは、こんな母親に。。娘が、プレゼントしてくれました・・」 と。涙まじりに。
それを聞いた瞬間、涙が溢れました。隣を見るとボーカルの先生も泣いていました。
ステージに立つお母さんを見守っていた娘さんも泣きそうな顔をしていたから。。つられて涙がこぼれました。
その大事なギターでお母さん(生徒さん)は奏で始めました。
素敵なメロディー、素敵な音色です。 心が透き通っていくような旋律でした。
しかし。。
終盤で生徒さんの手が止まりました。
あまりの緊張で頭が真っ白になってしまったようで、コードをすっかり忘れてしまったようです。
「え~。。。どうしよう。。。」 生徒さんは焦ってしまいました。
そんなお母さんを見守る娘さん。私たち講師陣もジッと見守ります。
それまで流れていた音楽が止まりました。お母さんはギターのネックで指をウロウロさせながら、コードを探しています。
「頑張れ!!」
その場にいるみんなが心の中で叫んだ声でした。
でも生徒さんはそこで演奏を諦めませんでした。
「もう一回、やり直していいですか?」
きっぱりと観客に問いました。もちろんみんなの声は「オッケー!頑張って!!」
その後も何度も同じところでつまづいてはやり直しの繰り返しでしたが、
結局最後にはその曲を全部演り通しました。
拍手喝采でした。涙が止まりません。
娘さんが花束を持ってステージに駆け寄ります。
本当に美しい瞬間でした。今思い出しても心が震えます。
娘さんが贈ってくれたギターで、
最後まで演奏を諦めず、
そして演奏しきった。
その、「1曲」に対する情熱と愛に心を打たれました。
そして、それが「音楽」を奏でること、なんですね。
押尾コータローの「てのひら」をアコースティックギター1本で演奏した生徒さんのTさん。
女性です。年齢は分かりませんがおそらく50代。
2年ほど前から当教室でアコースティックギターを習っています。
押尾コータローの大ファンと言うことで、直筆サインのTシャツを前回の発表会で着ていらっしゃいました。
今回の演目は「てのひら」という曲。
演奏する前に生徒さんが語りました。
「このギターは、こんな母親に。。娘が、プレゼントしてくれました・・」 と。涙まじりに。
それを聞いた瞬間、涙が溢れました。隣を見るとボーカルの先生も泣いていました。
ステージに立つお母さんを見守っていた娘さんも泣きそうな顔をしていたから。。つられて涙がこぼれました。
その大事なギターでお母さん(生徒さん)は奏で始めました。
素敵なメロディー、素敵な音色です。 心が透き通っていくような旋律でした。
しかし。。
終盤で生徒さんの手が止まりました。
あまりの緊張で頭が真っ白になってしまったようで、コードをすっかり忘れてしまったようです。
「え~。。。どうしよう。。。」 生徒さんは焦ってしまいました。
そんなお母さんを見守る娘さん。私たち講師陣もジッと見守ります。
それまで流れていた音楽が止まりました。お母さんはギターのネックで指をウロウロさせながら、コードを探しています。
「頑張れ!!」
その場にいるみんなが心の中で叫んだ声でした。
でも生徒さんはそこで演奏を諦めませんでした。
「もう一回、やり直していいですか?」
きっぱりと観客に問いました。もちろんみんなの声は「オッケー!頑張って!!」
その後も何度も同じところでつまづいてはやり直しの繰り返しでしたが、
結局最後にはその曲を全部演り通しました。
拍手喝采でした。涙が止まりません。
娘さんが花束を持ってステージに駆け寄ります。
本当に美しい瞬間でした。今思い出しても心が震えます。
娘さんが贈ってくれたギターで、
最後まで演奏を諦めず、
そして演奏しきった。
その、「1曲」に対する情熱と愛に心を打たれました。
そして、それが「音楽」を奏でること、なんですね。
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