卒業式の伴奏者♪
このブログは、【2014年1月26日】投稿記事の本文です♪
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小学6年生のCちゃん。
ピアノを習い始めた時に「卒業式の合唱(旅立ちの日に)の伴奏者」になる事を「目標」にしていました。
昨年末、「卒業式の伴奏者になるためのオーディション、年明けにあるの!」と言っていましたが…、
今回、「伴奏をやりたい!」と立候補したのは、「Cちゃんただ1人」だったらしく…、
「オーディション」なしで、「卒業式の合唱曲(旅立ちの日に)の伴奏者」に決まったそうです♪
Cちゃん、念願が叶って、本当によかったね!
そして、「卒業式の合唱曲の練習」も始まったらしいのです。
以前は、「憧れ」ていた「伴奏者」の地位を獲得した事で、「はじめて気付く事」もあります。
「伴奏者」になるために、他の人が「やっていない努力」をしたからこそ、
その「伴奏者としての地位」を獲得したわけですが、
周囲の「全ての人々」が「好意的ではない」場合もあります。
「脚光を浴びる事」「注目を集める事」の陰には、
それを【快く思わない負の感情を抱く人々の存在】もあるもの。
本来なら、「努力して、その地位を獲得した人」に対して、
「敬意」を表わすべきです。それが、本来あるべき姿のはずです。
でも、自分にないものを持っている人に対する「羨ましい」「嫉妬」という「負の感情」から、
「心ない仕打ち」を受ける事がある、というのも、世の常、なのでしょう。
そして「こういう事」は、どんな集団・社会であっても、同じような場面に出くわす事が多々あります。
卒業式の「本番」を迎えるまでの練習期間中、
「いわれのない仕打ち」を受けたり、「嫌な思いをする場面」に出くわすかも知れませんが、
何よりも「伴奏者としての責任」を果たす事が、一番大切ですね。
外野に惑わされることなく、自分に自信を持って、本番まで一生懸命練習を続けて、
本番、堂々と、演奏していただきたいです。
今回、「伴奏者」になった事で、きっと「色々な事」を体験し、学ぶでしょう。
「現実に、その立場に立つ事」でしかわからない「体験」をしていく中で、
はじめて「気付く事・わかる事」があります。
心から「応援」してくれる人もいれば、「嫉妬」の感情を抱いて誹謗・中傷をする人もいます。
自分は「誰の言葉を信じればいいのか」、これから先、本人が選択していく事になるでしょう。
心から信頼できる人々と、そうでない人々。
そういう「人を見極める目」を持つ事で、「自分自身の身を守る」こともできます。
どの集団に属するべきか、何を「善」と感じ、何を「悪」と感じるのか、選ぶのは「本人」です。
努力している人に対して、素直に「頑張っているね!」という温かい言葉をかけてあげる事で、
その人の「やる気」「意欲」は、より一層、高まっていくでしょう。
でも、本人の「やる気」をくじくような「心ない言葉」を投げかける人もいる。
きっと、どんな場面でも、同じような事はおきます。
そういう「仕打ち」を受けた時に、自分は、どうすべきか?
「人にやられて嫌な事」を、「人に対してやらない」という道を選択すれば、
「自分が受けた理不尽な仕打ち」と同じ辛さを、「他者」に与える事はなくなります。
でも、「人にやられた嫌な事」を、「別の他者」に行えば、
最初は「被害者」であった「自分」が、「加害者」になってしまうのです。
「負の連鎖」を断ち切る勇気を持つ事で、新たな「被害者」を生みださずに済むのです。
そうやって、「辛い事」を乗り越えていく事が、人として大切な事なのではないでしょうか。
「子供の社会」は「大人の社会の縮図」と、よく言われます。
小学校や中学校などでも、「意地悪な空気」がまん延しているのかと思うと、
ちょっと悲しいなぁ…と、感じます。
せめて、私が直接関わるピアノ教室に通う生徒さん達には、
「努力している事」に対して、きちんと言葉で「ほめて」あげたい、と思っています。
縁あって、私のもとでピアノを学んでくださっている生徒さんたちにも、
「自分を大切にできる人間」に、育ってほしいと心から願っています。
「あなた」という人間は、「世界にたった1人しかいない存在」なのですから…。
楽しい事・うれしい事・悲しい事・辛い事・苦しい事…、
そういう全ての体験は、「心を育てる大切な栄養分」になります。
傷つく事を恐れずに、色々な事に挑戦して、色々な体験をする事で、
表現できる「音楽」も、より豊かになっていくものです。
「経験」こそ、宝物なのです。
Cちゃん、憧れだった「伴奏者」として、立派にその責任を果たして、
「一回り大きな人間に、成長していただきたいなぁ…」と、心から願っています!
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小学6年生のCちゃん。
ピアノを習い始めた時に「卒業式の合唱(旅立ちの日に)の伴奏者」になる事を「目標」にしていました。
昨年末、「卒業式の伴奏者になるためのオーディション、年明けにあるの!」と言っていましたが…、
今回、「伴奏をやりたい!」と立候補したのは、「Cちゃんただ1人」だったらしく…、
「オーディション」なしで、「卒業式の合唱曲(旅立ちの日に)の伴奏者」に決まったそうです♪
Cちゃん、念願が叶って、本当によかったね!
そして、「卒業式の合唱曲の練習」も始まったらしいのです。
以前は、「憧れ」ていた「伴奏者」の地位を獲得した事で、「はじめて気付く事」もあります。
「伴奏者」になるために、他の人が「やっていない努力」をしたからこそ、
その「伴奏者としての地位」を獲得したわけですが、
周囲の「全ての人々」が「好意的ではない」場合もあります。
「脚光を浴びる事」「注目を集める事」の陰には、
それを【快く思わない負の感情を抱く人々の存在】もあるもの。
本来なら、「努力して、その地位を獲得した人」に対して、
「敬意」を表わすべきです。それが、本来あるべき姿のはずです。
でも、自分にないものを持っている人に対する「羨ましい」「嫉妬」という「負の感情」から、
「心ない仕打ち」を受ける事がある、というのも、世の常、なのでしょう。
そして「こういう事」は、どんな集団・社会であっても、同じような場面に出くわす事が多々あります。
卒業式の「本番」を迎えるまでの練習期間中、
「いわれのない仕打ち」を受けたり、「嫌な思いをする場面」に出くわすかも知れませんが、
何よりも「伴奏者としての責任」を果たす事が、一番大切ですね。
外野に惑わされることなく、自分に自信を持って、本番まで一生懸命練習を続けて、
本番、堂々と、演奏していただきたいです。
今回、「伴奏者」になった事で、きっと「色々な事」を体験し、学ぶでしょう。
「現実に、その立場に立つ事」でしかわからない「体験」をしていく中で、
はじめて「気付く事・わかる事」があります。
心から「応援」してくれる人もいれば、「嫉妬」の感情を抱いて誹謗・中傷をする人もいます。
自分は「誰の言葉を信じればいいのか」、これから先、本人が選択していく事になるでしょう。
心から信頼できる人々と、そうでない人々。
そういう「人を見極める目」を持つ事で、「自分自身の身を守る」こともできます。
どの集団に属するべきか、何を「善」と感じ、何を「悪」と感じるのか、選ぶのは「本人」です。
努力している人に対して、素直に「頑張っているね!」という温かい言葉をかけてあげる事で、
その人の「やる気」「意欲」は、より一層、高まっていくでしょう。
でも、本人の「やる気」をくじくような「心ない言葉」を投げかける人もいる。
きっと、どんな場面でも、同じような事はおきます。
そういう「仕打ち」を受けた時に、自分は、どうすべきか?
「人にやられて嫌な事」を、「人に対してやらない」という道を選択すれば、
「自分が受けた理不尽な仕打ち」と同じ辛さを、「他者」に与える事はなくなります。
でも、「人にやられた嫌な事」を、「別の他者」に行えば、
最初は「被害者」であった「自分」が、「加害者」になってしまうのです。
「負の連鎖」を断ち切る勇気を持つ事で、新たな「被害者」を生みださずに済むのです。
そうやって、「辛い事」を乗り越えていく事が、人として大切な事なのではないでしょうか。
「子供の社会」は「大人の社会の縮図」と、よく言われます。
小学校や中学校などでも、「意地悪な空気」がまん延しているのかと思うと、
ちょっと悲しいなぁ…と、感じます。
せめて、私が直接関わるピアノ教室に通う生徒さん達には、
「努力している事」に対して、きちんと言葉で「ほめて」あげたい、と思っています。
縁あって、私のもとでピアノを学んでくださっている生徒さんたちにも、
「自分を大切にできる人間」に、育ってほしいと心から願っています。
「あなた」という人間は、「世界にたった1人しかいない存在」なのですから…。
楽しい事・うれしい事・悲しい事・辛い事・苦しい事…、
そういう全ての体験は、「心を育てる大切な栄養分」になります。
傷つく事を恐れずに、色々な事に挑戦して、色々な体験をする事で、
表現できる「音楽」も、より豊かになっていくものです。
「経験」こそ、宝物なのです。
Cちゃん、憧れだった「伴奏者」として、立派にその責任を果たして、
「一回り大きな人間に、成長していただきたいなぁ…」と、心から願っています!
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