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「入院経験」で学んだ事

先日、6月22日(土)開催予定の「発表会の仮プログラム」等を作成し、ご一緒に参加してくださっている友人の先生へ書類を一式送付し、無事に届いたとの連絡が入りました。

昨年は、この先生のご体調が優れない中ご参加いただきましたが、発表会の後、精密検査で「甲状腺に異常値が出ている事」がようやく判明して、その病気に合った投薬治療をしたおかげで、今年はお身体の具合も良好になったとの事で「本当によかったな」と思っています。


私も学生時代、病気で入院したことがありました。
専攻科に入学後、5月末位から何となく気だるさが続き、集中力もなくなり、
ピアノを練習しなくちゃ、と思って、練習を始めるのですが、30分ともたず…、
「折角、音楽専攻科に進学させてもらったのに、何だか、自分自身が“怠け者”になってしまったのだろうか?」と、自分自身が「情けない」状態になったのです。

でも、病気だったという事が判明していないうちは、
「自分は病気だからこういう状態なのだ」ということがわからない
ので、
物凄く「自己嫌悪」になったのでしたが…、

6月末に「咳が続き、痛みもあり」一度病院で診てもらおう、と思って一人で病院に行ったところ、
症状を問診後、レントゲン撮影をして帰宅しました。
大したことはないだろう、と思って、後日結果を聞きに行った時に、
「ご家族の方はいらっしゃいますか?」とか、
「ご家族の方の中に、過去に大きな病気を患った方は?」等と質問されて、
「え?」と思いながらも、
父親の既往歴を新しい順からお伝えしていく中で、
「お父様と同じ病気のようですね」と言われて、
「肺結核」という病名を告げられて…、予想もしていなかった病名を聞いて「え~!」と…。

その後、詳しい胸部レントゲンを再度撮影して、
「今は、結核病棟のある病院は千葉県には3つしかなく、治療はそちらで受けてください。
結核は、結核予防法という法律によって入院治療するように定められているので、
今日は土曜日なので、来週早々この紹介状とレントゲン写真を持って入院してください」


「学校に通えなくなっちゃう、どうしよう…」
でも、「国が指定する伝染病で、入院治療が義務付けられている」のであれば、仕方なく…、
帰宅後、母に報告しながら、泣き出してしまって…。

色々な事を考えなければなりませんでした。
「折角入学した専攻科での勉強を諦めるべきか」
丁度、学校が夏休みに入る時期だったので、2ヶ月間は授業もなかったけれど、
9月になっても退院できず…。

入院後、一月も経つと「結核性肋膜炎」の「痛み」はなくなり、
「静養」し「薬を飲んで」、という事以外これといった治療はありません。
「痰の検査(結核菌が外に出ていないかを培養して調べる検査)」その他の検査が時々あるくらい。

「学校に戻れるかどうか」が一番の悩み事になって、
何度か、主治医の先生の診察の時に、「退院して学校に通いたい」と申し出たのですが、
「僕の母はまだ僕が子供の頃に結核を患って命を落としたから、
この病気を治せる医者になろうと思ったんだよ。
今入院しているお婆さんの患者さんたちも、若い頃結核を患って、
再発して入院している人たちだっているんだから…。
長い人生のほんの数ヶ月、しっかりと治療しないとダメだよ。」

と言われてしまって…。

でも、何故だか「留年」は私自身、全く考えておらず、
「許された修業年限の1年間だけ」で、技術が未熟で修了演奏に臨めなければ、
「修了できなくてもいいから、残された時間、精一杯ピアノに取り組みたい」

この気持ちは変わらず、両親に頼んで、両親から主治医の先生にお願いしてもらいました。

結果、私の結核自体は、ごく初期に発見された(肋膜炎で症状があった)ため、
「菌を外部に撒き散らしてはおらず、退院することは可能」、という事で、
何とか、ギリギリのところで、3ヶ月間の入院生活にピリオドを打つことができました

その後も1年間位、投薬治療が続き月1回程度、通院しました。
もちろん、この病気の治療はずっと以前に終了していて、「無理をしない生活」を心がけています。

入院生活を経験することで、感じた事、いくつか気付いた事がありました。

不安定な状況にある時は、「やらなければならない事」があっても、中々手につかないものなんだ、
「ピアノの練習」は、入院中「隔離」されているので当然のことながらできませんでした。
でも「論文」などについては、やろうと思えばできたのだろうけど…、結局、出来なかったのです。

「学校に戻れるかどうか」は、主治医の先生のご判断にかかっていて…、
ギリギリのタイムリミットまでに、退院できなければ、論文を書く必要もなくなるのです。
そんな中、「出来ることはやっておこう」という気持ちには…中々なれないものなんですね。
少なくとも、私自身はそうでした。
「心の平安」「希望」がなければ、「手につかない」状態になるものなんだな、と痛感しました。

「病に侵されている人」は、「傍から見れば“健康な人”」とそれ程「見た目は変わりません」が、
「病気に侵された身体は肉体的に辛い」という事が身にしみてわかりました。
丁度、課題にしていた「ショパン」もこの結核に侵されていた作曲家でしたので、「その当時は“特効薬”もなく、さぞ辛かっただろう…」等と想いを馳せたり…。

私自身、それまで大きな病気をする事もほとんどなかったため、
「病気の辛さ」は、「本当の意味で理解できていなかった」のだと思います。
なので、傲慢にも「精神」と「肉体」とでは「精神の方が優れている」と考えていた節がありました。


結果的に、「命には別状はなかった」入院生活でしたが、
この「入院を経験」したことによって、
「肉体」がなければ、いくら「高尚な精神」を持っていてもダメなんだ、
という「当たり前のこと」にようやく気付きました。

肉体があるから「ピアノも弾ける」んですよね。
命があって、肉体があって、これがなければ、
現世での活動は何もできないんです。
当たり前ですけれど、その事を気付くきっかけだったんだろうな、と思っています。


この入院生活を「体験」することで、「それまでの自分にはない境地」に思い至る事ができました。

「平和で健康で、何もかも幸せな状態」ばかりでは「気付かない事」を
ちょっとした「試練」に遭遇した時に「人は学べる」んだな、
「渦中にいる時は、とても辛い事」も、
「それを乗り越えた時に、一回り成長した自分がいる事」に気付く、
「平凡な日常が過ごせることのありがたみ」も身にしみて感じられるようになるのだろうな、と思っています。


このブログは【2013年5月1日】投稿記事の本文です。
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