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1998年に渡米して・・・

日本と海外半分の人生

はじめまして!ピアノ講師/ピアニストの安東理恵です。

日本で生まれ育ち、90年代に渡米し、2021年1月にシアトル郊外のベルビューから実家のある神奈川県に戻りました。18歳の時、東京のある街の橋の上で声をかけてくれた手相見習いの方に、「将来、海外に移住するでしょう」と宣言されたことがあります。そして数年後、その予言通りになりました。異国の地での生活は、日本のそれとはまるで異なるものでしたが、若さ故にいつの間にか自然と溶け込んでいました。

大学院に入ると、今までしたことのない量の勉強を強いられました。ネイティブスピーカーに囲まれて院生レベルの授業についていくには、彼らの3倍は勉強しないとついていけないと、本当に毎日必死で勉強しました。同時に日に4時間から12時間の練習、合間に学校で与えられた週に20時間のTAの仕事をこなすのに死に物狂いでした。そんな風に、失敗も成功も経験し、笑いあり涙ありの濃厚な24年間を送っていく中で、生きるため、そして成長するための内なる強さを培ってきたと感じています。


パンデミック

2020年1月、コロナウイルスの話題が徐々に広まり始めた頃、私たちの住んでいたワシントン州で国内最初の感染が発覚しました。2月の下旬にかけて感染者が増加し、ワシントン州知事は緊急事態を宣言、翌月末にはStay-at-home orderが発令されました。学校はオンラインに切り替えられ、子どもたちには一人一台のラップトップが配布され、授業もバーチャルで実施されました。

当時の様子は一言で言うと、「ハリウッド映画のセット」。人っこ一人歩いておらず、車や公共のバスさえ走っていない、異様な静けさが漂っていました。驚いたことに、外を歩いていると逮捕されるという噂まで広まりました。

当時は新型ウイルスが未知のものであり、買い物もできなかったため、Amazon FreshやInstacartなどのオンラインショッピングウェブサイトに頼るしかありませんでした。YouTubeには「届けてもらった食品や日用品の消毒の仕方」といった動画が多く出回っていました。私も同じように一つずつ丁寧に消毒する時期がありました。初期段階ではワシントン州でクラスターが発生し、不治の病のように扱われていたため、感染したら大変なことになるという意識が広まり、あちこちで大騒ぎとなっていたのです。日本との温度差がありすぎて、日本の家族と電話をしても、まるで話が噛み合わない状況でした。

(続く)

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