愛こそすべて ―バーンスタインにふれて―(1985年)4
翌4日は京都へお供しました。家族を残し、長い演奏旅行をしながら愛の足跡を残してゆかれるお一人お一人の心境を垣間見ながら、金閣寺の境内を歩きました。
夜は、バーンスタイン作曲「ハリル」。19歳の若さで戦死していかれた天才フルーティストのために書かれた曲でした。また、ブラームスの交響曲の、うねるような弦の調和、音色の美しさは、豊かな波となって押しよせて来るような感動でした。
大阪公演の最終日、ハーピストのユディットさん御夫婦と共に、心斎橋などショッピングのお供をしました。特に着物には非常に関心を示され、「優雅だ、美しい」と連発しておられました。
存在しているだけで生命が満ち、周囲を包みこんでしまうような大きさ、豊かさ。また2年後の再開を約束して、涙と共にお別れしました。
鈴木先生の
音にいのち在り 姿なく生きて
音楽――それは生命のことば
が私の胸に大きく響きました。世界平和を祈ってやみません。<終わり>
夜は、バーンスタイン作曲「ハリル」。19歳の若さで戦死していかれた天才フルーティストのために書かれた曲でした。また、ブラームスの交響曲の、うねるような弦の調和、音色の美しさは、豊かな波となって押しよせて来るような感動でした。
大阪公演の最終日、ハーピストのユディットさん御夫婦と共に、心斎橋などショッピングのお供をしました。特に着物には非常に関心を示され、「優雅だ、美しい」と連発しておられました。
存在しているだけで生命が満ち、周囲を包みこんでしまうような大きさ、豊かさ。また2年後の再開を約束して、涙と共にお別れしました。
鈴木先生の
音にいのち在り 姿なく生きて
音楽――それは生命のことば
が私の胸に大きく響きました。世界平和を祈ってやみません。<終わり>