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好きこそものの上手なれ

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私自身の幼少からを話すと
幼稚園に入った頃ピアノを習いたいと言い出す。
でもピアノをすぐに買ってはくれなかった。
小学校に入る前になってピアノを習い始めました。


両親は音楽について理解がありませんでした。

習い始め、楽譜が読めているのかわからなかったんです。

初めての先生は優しかったのですが、家でも分からず弾いていました。
母親も教えてくれないしと、小さいながら悩みになりました。

近所では人気。みんなそこのピアノ教室。と…後の母親談

たくさん生徒がいたようで何台もピアノがあり、
あっちの子に行ったり、こっちに来たり。
時間が重なって、掛け持ちで教えているようでした。
やっと来たと思うと、ちょっと弾くと、
良く弾けたね、よく出来たね〜。○しか言わなかったんです。
子供ながらに、本当かな?と思っていました。


その先生が、突然いなくなりました。

その後、小学3年生より音大受験専門の所へ行きました。

分かっていない所がいっぱいだったようです。泣

音が違う。場所が違う。ミスしたり、止まると怒られ、
鍵盤を叩かれる、その音の大きなこと。

それにもまして、怒涛のように、
ヒステリックに大きな声でわめく先生でした。

涙で、鍵盤が水っぽい。

何度か行きましたが、
前の男の子も同じく怒られ、泣いています。
ティッシュを無表情に渡されているのを見て
恐怖におののきました。

私はだんだん行くのが嫌になり、とうとう
家から途中にある墓場でさぼり始めました。

1カ月で親にばれ(怒られると思っていました)

事情をゆうと、母親は教室に先生交代のお願いに
行ってくれました。


晴れて、私は新しい先生に変わることになりました。

優しく全然怒らず、気持ちを組んでくれる
わからない所をきっちりと教えてくれる
先生に出会いました。そこからはちょっとずつ、
ピアノが弾けるようになったと実感しました。

それに伴って1年後、小学校では、
堺市少年少女合唱団の試験を勧められて受けることになりました。

ピアノの上達は、歌までにも影響し始めたのです。
当時かなりの人数が受けた中、合格し、
私は「あすなろ」に所属することになります。

小学6年生になると、音楽高校受験を目指します。

中学生からは、声楽、ソルフェージュも
各専門の先生について勉強をしました。

ピアノも音高へ行くなら名門とされる先生に中学3年まで
お世話になり音大夏期講習も勧められ受けたり、
教授に見てもらったり、
いろいろな先生が私に合う先生を
見つけてくれようとしてくれました。

先生たちの紹介でたどり着いた最後の先生は、
短大助教授、音大講師の大塚司先生。

大学卒業後も先生の家の生徒としていただきました。
もっと上を目指し行きなさい。
といつも生徒のことを考え応援してくれました。
先生の思いに答えられなかった時もありますが
ただ私にとってかけがえのない、人生の師でもあります。

私は生徒の事を想うたくさんの先生に出会いました。

その先生たちのおかげで
音楽、ピアノの事が、大好きになりました。

そして今の私があります。

今もなお、今までの先生に教わったことを基軸に
ピアノの奏法の研究をしています。
新しいことも吸収しつつ、前向きに一生涯勉強です。

好きこそものの上手なれ、好きな言葉です。


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