ピアノをはじめたのは…~プロフィール1
はじめまして。
ピアノ教室の小林美紀です。
今日は、自己紹介をさせて頂きます。
祖父は小学校の先生で、オルガンを弾いていました。
母もそのオルガンを弾きつつ、ピアノに憧れており、
子供たちにはピアノを習わせようと思うようになったそうです。
母のおかげで私の家にはピアノがあり、
弾いた最初の記憶は、
3歳ごろ。
ピアノの低い音をかわりばんこに弾いて、
「ぞうさんの あしおとっ!」
と家族に披露していました。
その後、姉や兄が習っていたので
私も年中から習い始めました。
今でも覚えている印象的な曲があります。
”だいすきな おいしいぶどうの パン たべよう”
という、食いしん坊な歌詞で、
おししそうーー!!と思いながら
歌ったり弾いていました。
ストレートなメッセージ性が好きですね。
↑シールがかわいいのも嬉しかったです。
この頃はグループレッスンで、
きょうだいと離れてレッスンに行くのは
さみしいな、と1回だけ
家の押入れに座って
思ったのを覚えています。
そんな、私も6歳になると、
小学校に上がったら、人がいっぱいだから、
群をぬいてピアノをひけるようにしようと、
一番難しいコースを受験することを決めました。
つづく
ピアノ教室の小林美紀です。
今日は、自己紹介をさせて頂きます。
祖父は小学校の先生で、オルガンを弾いていました。
母もそのオルガンを弾きつつ、ピアノに憧れており、
子供たちにはピアノを習わせようと思うようになったそうです。
母のおかげで私の家にはピアノがあり、
弾いた最初の記憶は、
3歳ごろ。
ピアノの低い音をかわりばんこに弾いて、
「ぞうさんの あしおとっ!」
と家族に披露していました。
その後、姉や兄が習っていたので
私も年中から習い始めました。
今でも覚えている印象的な曲があります。
”だいすきな おいしいぶどうの パン たべよう”
という、食いしん坊な歌詞で、
おししそうーー!!と思いながら
歌ったり弾いていました。
ストレートなメッセージ性が好きですね。
↑シールがかわいいのも嬉しかったです。
この頃はグループレッスンで、
きょうだいと離れてレッスンに行くのは
さみしいな、と1回だけ
家の押入れに座って
思ったのを覚えています。
そんな、私も6歳になると、
小学校に上がったら、人がいっぱいだから、
群をぬいてピアノをひけるようにしようと、
一番難しいコースを受験することを決めました。
つづく
このブログへのコメント