発表会の服を考える時 ②
『源氏物語』の《野分》の章に、こんなシーンがあります。
源氏の息子夕霧が、台風の日に父の六条院を訪れ、
お見舞いするのですが、
春の御殿には源氏は、絶対息子を近づけなかったんです。
というのは、箱入り嫁の『紫の上』を見たら、
絶対夕霧は恋をすると、父親のカンで思ってたんですね。
それが台風のどさくさで、夕霧君は見てしまいます。
そのシーンが、おおざっぱやけど、
「御簾を巻き上げ、几帳もたたまれ、風が強い中、
女房たちが忙しく動いている。
そこにひときわ異彩を放つ美があった。
一目で他と違うと解る美は、庭の花が倒れた、
葉が散ったと、心配げにしかし、
少し面白いものを見るようにじっと見ていた」
みたいなシーンがあります。
もちろん紫の上は、絶世の美人設定だけど、今ならわかる。
正式女房装束の女房達の中に一人、
『普段着の袿をはおっただけ』の女性は、
そこの主人・紫の上しかいませんやん。
庶民感覚で言うなら、メイド服姿の女性に囲まれた、
ジャージ姿のお姉ちゃん、というところでしょうか。
極端すぎか。
外国でもそうですよね。
映画とかで中世とか、現代でも上流階級の生活を
描いているのを見れば、お仕えする人々はスーツですよね。
執事とか執事。
きっちりしたレストランもそうですよね。
黒白のスーツを着た人たちが、丁寧な言葉で迎えてくれますよね。
そう!!
私ら演奏者は「奉仕側」。
決して「ご主人じゃない」のです。
お客様は「ご主人」なので、何着ていただいてもいいのです。
でも、私らは「奉仕者」なので、男性ならスーツ、燕尾服。
女性ならドレス、なのです。
今はどうだか解らないけど、
昔、社会主義国から来られたピアニストは、
男性は普段着で弾いていらしたと思います♪。
私はアシュケナージの大ファンで、
来られるたびに行きましたが、
ハイネックのセーターにジャケット姿でした。
指揮者として活動されてからも、
燕尾服を着てらした事はなかったです。
いつも、ハイネックセーターとジャケットでした。
それは「社交界」とかのスタイルが、
レーニン主義ですたれたからかな?と思います。
その前はエカテリーナやロマノフ王朝などの帝政ロシア、
貴族社会ですから。
つづく
源氏の息子夕霧が、台風の日に父の六条院を訪れ、
お見舞いするのですが、
春の御殿には源氏は、絶対息子を近づけなかったんです。
というのは、箱入り嫁の『紫の上』を見たら、
絶対夕霧は恋をすると、父親のカンで思ってたんですね。
それが台風のどさくさで、夕霧君は見てしまいます。
そのシーンが、おおざっぱやけど、
「御簾を巻き上げ、几帳もたたまれ、風が強い中、
女房たちが忙しく動いている。
そこにひときわ異彩を放つ美があった。
一目で他と違うと解る美は、庭の花が倒れた、
葉が散ったと、心配げにしかし、
少し面白いものを見るようにじっと見ていた」
みたいなシーンがあります。
もちろん紫の上は、絶世の美人設定だけど、今ならわかる。
正式女房装束の女房達の中に一人、
『普段着の袿をはおっただけ』の女性は、
そこの主人・紫の上しかいませんやん。
庶民感覚で言うなら、メイド服姿の女性に囲まれた、
ジャージ姿のお姉ちゃん、というところでしょうか。
極端すぎか。
外国でもそうですよね。
映画とかで中世とか、現代でも上流階級の生活を
描いているのを見れば、お仕えする人々はスーツですよね。
執事とか執事。
きっちりしたレストランもそうですよね。
黒白のスーツを着た人たちが、丁寧な言葉で迎えてくれますよね。
そう!!
私ら演奏者は「奉仕側」。
決して「ご主人じゃない」のです。
お客様は「ご主人」なので、何着ていただいてもいいのです。
でも、私らは「奉仕者」なので、男性ならスーツ、燕尾服。
女性ならドレス、なのです。
今はどうだか解らないけど、
昔、社会主義国から来られたピアニストは、
男性は普段着で弾いていらしたと思います♪。
私はアシュケナージの大ファンで、
来られるたびに行きましたが、
ハイネックのセーターにジャケット姿でした。
指揮者として活動されてからも、
燕尾服を着てらした事はなかったです。
いつも、ハイネックセーターとジャケットでした。
それは「社交界」とかのスタイルが、
レーニン主義ですたれたからかな?と思います。
その前はエカテリーナやロマノフ王朝などの帝政ロシア、
貴族社会ですから。
つづく
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