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音楽一筋に見えて実はそうではなかった作曲家

皆さん、こんにちは。今日は、音楽一筋に見えて実はそうではなかった作曲家についてお話ししましょう。その作曲家とは、ピョートル・チャイコフスキー(1840年~1893年)です。

チャイコフスキーと言えば、『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』、『眠れる森の美女』など、優雅で壮大なバレエ音楽を数多く世に送り出したことで知られています。しかし、彼の音楽の道は一筋縄ではいかなかったのです。

彼の家族は、ロシアの広大な領地、モスクワから数百キロ離れたウラル山脈周辺の鉱山の町で暮らしていました。祖父は医者、父は製鉄所の監督官をつとめていたそうで、地元では人々から頼られる一家だったようです。

都市部から遥か離れた辺境の地ではありましたが、チャイコフスキー家は比較的文化的・芸術的な生活を送っており、音楽に携わる機会もあったと見られています。しかし、彼の両親には、彼を音楽家にするという発想はなかったようで、10歳になったチャイコフスキー少年はサンクトペテルブルクという街の法律学校に通うようになります。

法律学校を卒業したチャイコフスキー青年は、官吏(かんり:国家公務員や役人のこと)として法務省で働き始めます。しかし、仕事に情熱を感じることができず、音楽への夢をあきらめきれず……。チャイコフスキーはロシア音楽協会という教育機関の存在を知り、1861年、このクラスに入学します。そして1863年に法務省を辞め、音楽の道に進んだのです。

これは、音楽一筋に見えて実はそうではなかった作曲家、チャイコフスキーの物語です。彼の音楽は、彼の人生の軌跡から生まれたものであり、その背景を知ることで、彼の音楽に対する理解が深まることでしょう。レッスンにご興味がある方は、「ウィステリア・ピアノクラス」で検索して、ホームページからお気軽にお問い合わせください。


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