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ジョージ・ガーシュウィンと「ラプソディ・イン・ブルー」の誕生

こんにちは、皆さん。今日はシンフォニック・ジャズの代名詞、「ラプソディ・イン・ブルー」の作曲家、ジョージ・ガーシュウィンについてお話しします。

この曲は、クラリネットのグリッサンドで始まる冒頭部分を聴くと、ニューヨークの摩天楼が浮かんでくるような印象的なメロディで知られています。しかし、この曲が誕生した経緯は、とても興味深いものです。

1924年の1月3日深夜、ガーシュウィンはビリヤードに興じていました。そのとき、兄のアイラ・ガーシュウィンが新聞を見て、驚くべきことに気づきました。当時最も人気のあったジャズ・バンドの指揮者、ポール・ホワイトマンが、「現代音楽の実験」と題するコンサートを開くことが予告されていたのです。しかも、その曲目には「現在作曲中のジョージ・ガーシュウィンのジャズ・コンチェルト」が含まれていると書かれていました。

これを知ったガーシュウィンは、翌日あわててホワイトマンに電話をかけました。ホワイトマンは本気で、公演日は2月12日と迫っていました。時間がない中、ガーシュウィンは急遽、新作に取り組むことになりました。

作曲者本人の手紙によれば、「ラプソディ・イン・ブルー」の曲想が生まれたのはボストン行きの汽車の中だったといいます。リズミカルな機械音に刺激されて、突如として曲の構想が最初から最後まで思い浮かび、楽譜としてすら見えたというのです。つまり、この曲は隠れた鉄道名曲でもあるわけです。

この曲には、ふたりの恩人がいます。ひとりはクラリネット奏者のロス・ゴーマン。彼がリハーサルの合間に冒頭の音階のパッセージをふざけてグリッサンドで滑らかにつなげて吹いたところ、ガーシュウィンはこの効果を気に入り、本番でも採用することに決めました。今やあのグリッサンドは曲のトレードマークになっていると言ってもいいほどです。

もうひとりは兄のアイラ。当初、曲は「アメリカン・ラプソディ」と題されていましたが、アイラの発案で「ラプソディ・イン・ブルー」と改められました。これもクラリネットのグリッサンドに負けないくらい、曲の人気に貢献したはずです。

初演が行なわれた「現代音楽の実験」には、ハイフェッツ、クライスラー、ラフマニノフ、ストコフスキー、ゴドフスキー、ストラヴィンスキーらが立ち会ったという。伝説が生まれるためのお膳立てはできていました。

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