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ジェネンズとヘンデル

皆さん、こんにちは!昨日は、ヘンデルの「メサイヤ」が宗教的理由により、一年間、興行を見合わせられていたというお話をしました。「メサイヤ」が作曲されたのは1741年ですが、この作品の作曲を思い立ったのはヘンデル自身ではなく、作詞者のジェネンズだったようです。

ヘンデルは20代半ばでイギリスに渡り、当初はオペラ作曲家として大きな成功を収めました。しかし、40代後半になるとオペラの興行が不調に陥り、彼自身も体調を崩し、演奏活動からの引退を余儀なくされました。その時、ヘンデルは52歳でした。

その後、体調は温泉療法で回復し、その頃(1740年頃)から、オラトリオの作曲に専念するようになりました。1737年の「アレクサンダーの饗宴」、1740年の「サウル」、「エジプトのイスラエル人」等を作曲しましたが、興行成績は芳しくありませんでした。1740年秋から翌年春までのオペラ・オラトリオのシーズンが不調に終わり、ヘンデルは翌シーズンに何をすべきか思案に暮れていたようです。そこへ数年来の友人であり、かつてオラトリオ「サウル」の曲本を提供したジェネンズがヘンデルに新しいオラトリオの作曲を勧めてきたのです。

この辺の事情は、ジェネンズ自身が友人に宛てた手紙の中で触れていていますから、ジェネンズに関する次のブログ記事で、それをご紹介しますね。お楽しみに!

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