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音楽は楽しいだけ?-20年前の私-


   音楽は楽しいだけ?


  「音楽は音を楽しむと書きます。本来、音楽とはそのようなものなのです。」ああ、またこの言葉か、いやになるな。音楽について素人が言う分には、チョッと首を横に傾げ、ニッコリ笑って………。しかし、長年音楽を職業としてやってきた人間から、真剣な表情で思いを込めての、この種の言葉を聞くと、ゾッとしてしまう。あなた、本気でそう思っているのですか。なんて単純!
 MUSIK(独語)をどなたが「音を楽しむ」と訳されたのか知らないが、明訳だと思う。MUSIKを楽しみたいと私も思う。しかし、「音楽」という言葉が、MUSIKの本質あるいは原点のように単純に錯覚されたのでは、はなはだ面白くない。MUSIKUが「音楽」から出発したのではないことは誰でもわかることだ。もし、訳語が「音我苦」だったらどうだ。これも、まあ音楽仲間では、よく使われることだけれど………。
 私は書道を楽しみたい。テニスも楽しみたい。最近買ったパソコンも楽しみたい。そしてそのいずれも、できればより質の高い楽しみを得たい。トリハダが立つような気持ち良さを味わいたい。より高度なものを求める時、そこには必ず困難があるはずだ。大きな山、壁があるはずだ。それらを必死に、汗水たらして、時にはなりふりかまわず乗り越えた時、身震いするような気持ちの良さ、楽しさがある。
 音楽だって同じこと。より美しい、より整った、より強烈な、より繊細な、より輝かしい、そういうものを追い求めたい。その過程では苦しいこと、つらいこと、止めてしまおうかと思うこと、こんなことはイヤというほどあると思うのだ。
 カラオケが芸術でないことはわかるだろう。音楽でないとは言わないが、歌い手の自己満足でしかないシロモノだ。カラオケが悪いとかではなく、カラオケで楽しむ程度のことは、MUSIKする(=音楽する)とは言ってほしくないのだ。 



 「子供はほんとに音楽好き、もうハチキレンばかりの声で歌い、体まで動かして歌いまくる。でも、だんだん音楽嫌いの子が……………。」と、さも困ったような声。うんざり!



 当たり前のことと思う。幼児から小学校1・2年ぐらいまでは、聞こえてくる音楽に合わせ、歌うこと、身体表現すること、これがその子供の遊び、運動の総て、いや、もっと大げさに言えば生活そのものなのだ。後は泣くことぐらいしか残らないんじゃないかな。(チョット言い過ぎかな)楽しいし、かつ全身運動のスポーツでもあるのだ。だから、精いっぱいの声をだし、精いっぱいの身体表現をします。
 しかし、だんだん体も成長し、心も出来てきて、目をもう一つ外に向けた時、広い原っぱに出て、思いきりボールを蹴りあう楽しさを知った時、少年が以前のように声を出さなくなったからと言って悲しむ必要がどこにあるだろう。少年は音楽が嫌いになった訳じゃない。もっと楽しい、自分をわくわくさせられるものに出会えたのだ。これは喜んでやるべきことではないか。
 本来、総ての人間は確かには心の奥深くに音楽を持っていると思う。それは、何才になっても母をいとおしむ感情と似ているかも知れない。心の中にそっとしまっておきたいという照れにも似た感情が音楽にはあると思う。それはそれとして、音楽以外に自分をより良く表現する手段や方法を持っていてもいいじゃないか。他の物を一通り経験したがやっぱり音楽がいいな、という人間が音楽を好きであれば十分じゃないか。総ての人間が「音楽が好き!」と叫んだら、その方がキモチワルクないか。 



  私は、音楽が好きだ。より美しく、より緻密で、より困難な、そんな音楽を思い切り苦しみながら作り上げ、そして楽しみたい。 

  
       



                                           PC内に保存してあった古い文書を久し振りに見てみました。その中の1文です。
                                      ちょうど20年前のものです。なんか、突っ張った文章です。今、自分が文章にしたら
                                      もう少しまるい表現方法を取るでしょうが、でも言いたいことはあまりかわらないです。



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