怒るレッスン
前回、怒らないという題名でブログを書いてみました。
ほとんどの場合は出来ていることを認める方向の指導でいくように思います。
しかし私が子供の頃、特に小学生の時にはひたすら怒られることの繰り返しでしたのでピアノを弾くこと、音楽について楽しむというような気持ちや印象はほぼ無くて、当時の同級生でピアノが弾ける他の小学生で「ピアノ楽しい」というような発言はかなり反発心を覚えたように思います。
怒られると同時に、気持ちは下がりますし怒られたことにより自分の至らない怒りではなくて、怒ってくる相手に対する怒りも湧きました。それは消えることはなくてむしろ積み重なり大きくなります。
こんなやり取りは意味がないか低いと当時の自分でも冷静に考えました。そのため、どういう指導があるのか?音楽だけてはなくて他の習い事や塾、スポーツなどのことを色々と調べたり、実情はどのようなのか?友達や雑誌などの記事、スポーツ指導関係の書籍などを色々と読むことにつながったように思います。
これがだいたい40年ほど前のことですが、いま令和元年の実情はどうでしょうか?
個人的には子供の頃の指導者の様子とあまり変わっていないという残念なことが半分、私と同じように指導について他の国々での在り方がどうなのか?を混ぜながら試行錯誤しておられる方々がいることも知っているので未来につながる希望を持てることの半分ずつだと思います。
ダメ出しを続けるやり方でも伸びる子はいますが、割合で表すと1, 2割だと思います。同じやり方を続けることでその習い事から離れることにつながるような割合が残りの8, 9割だと思います。残る子供だけ伸ばせば良いと割りきった考えができるならそういう方法でもありなのだと思いますが、なるべく多くの人々に音楽の良さを知って欲しいという側面を考えますと、なるべく多くの子供達が残る方法を模索し続けることが大切なのかなと思います。
ほとんどの場合は出来ていることを認める方向の指導でいくように思います。
しかし私が子供の頃、特に小学生の時にはひたすら怒られることの繰り返しでしたのでピアノを弾くこと、音楽について楽しむというような気持ちや印象はほぼ無くて、当時の同級生でピアノが弾ける他の小学生で「ピアノ楽しい」というような発言はかなり反発心を覚えたように思います。
怒られると同時に、気持ちは下がりますし怒られたことにより自分の至らない怒りではなくて、怒ってくる相手に対する怒りも湧きました。それは消えることはなくてむしろ積み重なり大きくなります。
こんなやり取りは意味がないか低いと当時の自分でも冷静に考えました。そのため、どういう指導があるのか?音楽だけてはなくて他の習い事や塾、スポーツなどのことを色々と調べたり、実情はどのようなのか?友達や雑誌などの記事、スポーツ指導関係の書籍などを色々と読むことにつながったように思います。
これがだいたい40年ほど前のことですが、いま令和元年の実情はどうでしょうか?
個人的には子供の頃の指導者の様子とあまり変わっていないという残念なことが半分、私と同じように指導について他の国々での在り方がどうなのか?を混ぜながら試行錯誤しておられる方々がいることも知っているので未来につながる希望を持てることの半分ずつだと思います。
ダメ出しを続けるやり方でも伸びる子はいますが、割合で表すと1, 2割だと思います。同じやり方を続けることでその習い事から離れることにつながるような割合が残りの8, 9割だと思います。残る子供だけ伸ばせば良いと割りきった考えができるならそういう方法でもありなのだと思いますが、なるべく多くの人々に音楽の良さを知って欲しいという側面を考えますと、なるべく多くの子供達が残る方法を模索し続けることが大切なのかなと思います。