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大澤壽人という作曲家

大澤壽人(おおさわひさと)という作曲家がいます。

神戸出身。戦前から戦後にかけて、クラシックから出発しポップスやジャズまで幅広いジャンルで活躍した作曲家です。

1953年に47歳で急逝。半世紀近く忘れられた存在でしたが、2000年代初めから再評価の動きが始まりました。

近年ではCD録音やオーケストラのコンサートで作品が取り上げられるなど、ますます注目を集めているそうです。

私は、この作曲家・大澤壽人に、勝手ながら並々ならぬご縁を感じています。

私が留学して足かけ10年間も住んだ街、ボストン。大澤は1930年にボストンへ渡り、ニューイングランド音楽院で学びました。私も同じ音楽院で学び、伴奏助手をしていました。

1930年当時の日本人で西洋音楽を志す者はヨーロッパへ渡ることが多かったのに、母親が熱心なキリスト教徒だった大澤は、知人の在留牧師のつてを頼ってアメリカはボストンへ渡ったそうです。

私も、周りの同級生がヨーロッパへ留学したり大学院へ進む道を選ぶなか、たまたまマスタークラスで出会ったローゼンバウム先生に導かれるようにボストンへ行ったのでした。
同じようにローゼンバウム先生を慕ってボストンへ渡った先輩や同級生も何人かいましたが、数年後には日本からピアノ専攻でボストンへ留学する学生は激減していました。


大澤は帰国後、出身地の神戸を中心に旺盛な音楽活動を続け、神戸女学院で教鞭をとっていました。

急逝後は忘れられた存在となってしまいましたが、2000年代初頭から再評価の動きが始まりました。その頃、壽人の遺品を大切に保存していた大澤家は遺品3万点全てを神戸女学院へ寄贈しました。

女学院では研究チームが立ち上げられ、その陣頭指揮を取ったのが音楽学者の生島美紀子先生です。

その生島先生が、たまたま私が出演していたコンサートへいらしていました。(2021年3月30日の、シューベルト協会演奏会です。その時のブログはこちら)

その際に私の演奏を気に入ってくださり、〈レッスン会員募集〉のチラシをご覧になって連絡を下さいました。
それ以来、私は生島先生のお孫さんにピアノを教えています。




生島先生を通じて、私は初めて大澤壽人の作品に触れました。

ボストン留学時代に書いたピアノ曲の前衛、斬新さ。帰国後の旺盛な作曲活動のなかで生み出された数々の作品の力強さ。ポップスやジャズ、ラジオ用のホームソングなど、自由自在な作風に目を見張りました。

いつかソロリサイタルで大澤作品を弾いてみたいと思い、カワイから出版されているピアノ曲集を早速買い求めました。生島先生からは、貴重な「ソナチネ」の楽譜をありがたく頂戴しました。


そして昨日、7/24(土)には芦屋市民センターにて市民向け講座があり、生島先生が大澤壽人の業績と作品についてお話しされました。

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大澤壽人がボストンで住んでいたアパートはシンフォニー・ロードという通り沿いだったと聞いたときには、思わずゾクゾクしました。
なぜって、その通りはシンフォニーホールとニューイングランド音楽院のあいだにあり、私がいつも通っていた道だったから。

大澤作品の録音をたくさん聴くこともできて、その多才さに改めて感銘を受けました。

この講座では大澤壽人の息子さんもご夫婦で参加されており、終了後にお話しさせていただけたのも嬉しかったです。



私が勝手に運命的な縁を感じている作曲家、大澤壽人。
詳細は生島先生が立ち上げたホームページでも見られます。
また、神戸三宮の民音音楽資料館西日本館において、土日祝に〈大澤壽人展〉が開催されています。

私も近いうちに行こうっと!
そしてソナチネや他のピアノ曲も早くレパートリーに加えよう!!


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