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「型」と「自由」の関係性

ピアノ中毒研究所

母・りおこはもう長いことピアノを教えていて、生徒さんたちもたくさん卒業していきました。
娘・まるこはというと、鬼コーチ(母。他人の子には優しい)からの手ほどきを受け、ピアノが嫌いになって去って、そしてまた戻ってきたという感じ。
写真は、場末のスナックでピアノを弾いている場面。いや、演劇の一幕です。
この時は短いブルースみたいなのを作って、歌いながら弾きました。

一方母・りおこはしっかり堅実にコツコツ練習を重ねるタイプ。コンクールにもきちんと出てきたし、厳しい先生の指導にも耐えた人。

私たちのピアノは、ツイッターと論文です。
どちらも同じ文章だけれど、質が全く違います。
私・まるこの自由型ピアノはツイッターです。
一瞬一瞬で目まぐるしく変化し、環境、感情によっても波打ちます。
一方母・りおこのピアノは、論文です。
研究を重ねて何度も推敲し、結論を導き出します。
前者の「いい音楽」は環境や感情に面白く反応してツイートすること。
後者の「いい音楽」は濃厚な研究をして面白い結論を出すこと。

タイプが真逆の私たちですが、共通しているのが「型」の存在です。
自由な私にも、幼少期、母に叩きこまれた「型」がしっかり存在しているのです。
「自由に弾く」ことをしながら、人間が音楽と認識できる旋律を奏でるためには、理論的にでも感覚的にでも「人間はこういうものを音楽と呼ぶらしい」という法則を知っておくことが必要です。一部の現代音楽は別として、めちゃくちゃに音を叩いただけでは、ただの「音の塊」になってしまうのです。
ツイッターでも論文でも、文章を作る技術は共通して必要ということです。

そう、でも、ピアノは、「苦もなく文章を作れるようになる」というステップをクリアするまでが長いのです。そう、長いのです・・・


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