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小澤征爾さんの思い出

皆様こんにちは。

先日、世界的指揮者の小澤征爾さんが

亡くなったと報道されました。

少し前のコンサートの番組での小澤さんは

髪も一層白くなられ、

ご病気も患っていらしたそうで

勝手に心配していました。

子どもの時、

毎年大阪国際フェスティバルの期間中

花束嬢を務めていた私達姉妹は

小澤さんの指揮するコンサートでも

プログラムが終わるとステージで

着物で花束をお渡ししました。

小さい妹が指揮者の方に、

少し大きい私は

コンサートマスター担当でした。

花束を渡したらステージ袖に戻って

そこでアンコール曲を聴きました。

その後、楽屋でサインを頂き

朝日新聞社のカメラマンの方が

記念撮影をする、

というのがお決まりのコースでした。

なぜ花束嬢をする事になったかと言いますと、

当時(昭和40年代です)

父が関西の音楽家の集まりで

「小さい女の子供さんがいるならどうか」と

頼まれたときいています。

他にも朝日新聞社関係の方のお嬢さんも

花束嬢をなさっていましたし、

私達姉妹の都合の悪い時や人数が多いは

母のピアノの生徒さん達にもお願いしました。

そして小澤さんなんですが、

母が相愛女子大学(現、相愛大学)

の学生だった時に

サイトウキネンオーケストラで有名な、

小澤さんの恩師でいらした斎藤秀雄先生が

相愛に教えにいらしていて

母も指揮法を学んだそうで、

その時の助手が

小澤さんだったそうです。

助手としてですが

小澤さんが大学に教員として所属されたのは

相愛だけだそうです。


母が京都へ一緒に遊びに連れて行って頂いて

「リプトン」というお店で

アイスクリームを注文したら、

「佐藤さん(母の旧姓)のアイスクリーム、

美味しそうだね」と仰って

ご自分のスプーンですくって

一口召し上がったという

お話を母からききました。

写真のコンサートの時に楽屋で、

「相愛でお世話になった佐藤です。」

と母が言うと小澤さんが

「あ〜、佐藤さん‼️懐かしいなあ‼️」

と仰ってました。

母はその後、

小澤さんとしばらくお話していましたが

私と妹は、モデルをなさっていらした奥様が

あまりにお綺麗なので、

楽屋を出るまでずっと見惚れてしまいました。

小澤さん、中国のオーケストラも

指揮なさったんだ。

今度はウィーンフィルだ、タングルウッドだと

小澤さんのご活躍を

いつも楽しみにしていましたので

ご高齢ではありますが、本当に残念です。

心よりご冥福をお祈り致します。


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